大久保は特徴的なVMを流していた頃は実は会社の業績はよくなかったという。またその当時の取引先にはきつい一言を言われたというが大手企業の商品と比べられて安くしないと買えないと言われたという。街のラーメン店のラーメンのような商品を作るには麺を油であげるわけにもいかず、茹でていたので、その工程をいれなければ、新しい品質のものはできないと思ったという。業績がよくない中で10年かけて研究を重ねたという。しかしそうした中で一食の面白い麺が凄麺の原型になったという。それを大量生産にするのもまた大変だったと語った。