北条氏は現在の幸手市に堤防、人工の河川をつくっていたといい、流路を変えていた。しばらく流れると一級河川の中川、利根川に合流することになる。北条氏は水運を活用し、兵士や軍事物資を運搬していた。時代が江戸に入ると、人口が膨れ上がり、食糧問題の解決のため、東北から米が運ばれるようになる。房総沖は難所だったため、北条氏が築いた水系が利用された。谷口榮氏は「(北条氏の時代の)礎の上に徳川家康が江戸を開発していく」などと説明した。
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