販売不振により、1年生産中止となったブラックサンダー。生産中止に直談判したのが、九州地区の営業担当だった森園さん。森園さんはことし亡くなったという。森園さんの家族によると、森園さんは、ブラックサンダーの生産中止について、「客もやめないでほしいと言っているのに」と話していたという。福岡県北九州市を訪れ、元菓子問屋の営業担当だった高田さんを訪ねた。高田さんがブラックサンダーの生産中止を小売店に伝えたとき、店の人は、売れているのに、なぜ発売中止になったのかと言い、高田さんは、上司に要望が上がっていることを伝えたという。福岡県八女市にある大正13年創業の駄菓子問屋「永松商店」では、当時、営業に行くと、ブラックサンダーはよく売れていて、終売になったときには、一般の客から問い合わせが来たという。久留米市の菰田さんによると、この地域では、中秋の名月に、月に備えた旬の里芋を子どもたちがもらってまわる風習があり、それが里芋からお菓子に変わり、その中のひとつにブラックサンダーがあった可能性があるという。30年前、10~11歳だった中野さんは、「芋名月」で初めてブラックサンダーをもらって、よく食べていた、周りも食べていたなどと話した。この地域一帯のブラックサンダー人気は、森園さんの熱心な営業と、中秋の名月で初めて食べた子どもたちの記憶、その思いをくみ販売再開を呼びかけた駄菓子店らの熱意がひとつになっていたことが背景にある。当時大ブレイクしていた「生協の白石さん」という本で、ブラックサンダーが取り上げられると、大学生たちの間で人気に火がつき、2008年に大ブレイクした。