大学を卒業して教師になった恒彦と正子は昭和34年にそれぞれ大きな転機を迎える。恒彦は北海道旭川盲学校に理科の教師として赴任。目の不自由な生徒たちを前に大きな挫折を味わった。そして、東京教育大学で1年間、盲教育を専門的に学んだ。目の見えないことに幅があることが分かったという。小学校の教師をしていた正子はハワイの叔父から英語を勉強しないかと誘われ、昭和34年にハワイの学校に入学する。それぞれ勉強を重ねて北海道に戻った2人は昭和38年に結婚した。正子は中学校の英語教師に転身した。教え子の川本さんは誰よりも生徒思いの先生だったと話す。恒彦は盲学校で生徒一人ひとりにあった教育を実践していく。教え子の田中さんは今でも恒彦の授業が忘れられないという。恒彦は自らが地球になり自転と公転を教えたという。昭和41年に長男・潤が誕生、昭和48年には二男の洋が誕生した。