2024年12月29日放送 19:30 - 20:42 NHK総合

ファミリーヒストリー
大泉洋 〜北の大地に希望を託して〜

出演者
寺門亜衣子 今田耕司 大泉洋 
(オープニング)
オープニングトーク

俳優・大泉洋のファミリーヒストリーに迫る。大泉は、この番組に出演するにあたり、スタッフから「収録が近づいてきたら、あんまりご両親と話さないでください」と言われたそう。

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室町無頼福山雅治
オープニング

オープニング映像。

ファミリーヒストリー 大泉洋
東北の武家だった 大泉家の足跡を追う

大泉家のルーツに迫った。一番古い戸籍に「宮城縣刈田郡白石市本郷(現:宮城県白石市)」と書かれていた。仙台市博物館にある史料には、白石城を居城としていた片倉氏の家臣一覧の中に大泉姓があった。学芸員・佐々木さんによると、片倉氏の家臣の中に大泉家は一件しかないという。白石市教育委員会でも大泉家を記した史料が見つかった。白石城の南東方向に大泉家の屋敷があったことが分かった。

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北の大地に希望を託して

大泉家のルーツに迫った。戊辰戦争で仙台藩が敗れ、大泉家を含む家臣たちは食も住む場所も失った。大泉家は他の家臣たちとともにこの地を離れ、北海道への移住を決意。咸臨丸という船で北海道に向かうも、北海道・木古内町の沖合で座礁。咸臨丸は沈没した。大泉洋の高祖父・安定たちの命は助かった。その後、別の船で小樽までたどり着き、石狩の仮小屋を目指した。これまで経験したことのない北海道の寒さに人々は苦しめられた。移住場所は現在の札幌市東部で林が広がる一帯に決まった。この時、仮小屋に身を寄せたのは600人。その後、安定たちの働きぶりが認められ、その土地は故郷の名を取って「白石村」と名付けられた。北海道立文書館には、その後の安定の足跡が記された文書が保管されていた。安定は警察署の巡査を務め、白石村で村会議員を2期務めていたことなどが分かった。

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トーク

大泉洋は自身の祖先について「勝手に商人とかかなと思っていた」などとコメントした。

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“すこぶる公平なる” 大泉家の足跡を追う

大泉家のルーツに迫った。大泉洋の高祖父・安定が北海道に移住して1年半。明治6年に誕生したのが、大泉の曽祖父・安行。安行の足跡を札幌高等裁判所で見つけた。資料には「札幌区裁判所 書紀 大泉安行」「旭川区裁判所 執達吏 大泉安行」と記されていた。公平さで信頼を築いた安行。そんな姿を見て育った大泉の祖父・恒三も裁判所の書紀だった。その後、妻子のため生活をもっと豊かにしたいと考えた恒三は転職を決意。昭和16年、安田銀行に入行した。

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銀行員の祖父 信頼を築く

大泉家のルーツに迫った。大泉洋の祖父・恒三が勤務した安田銀行の建物は今も残っている。裁判所から銀行に職場を変えた恒三も周囲との信頼関係を大切にしていた。恒三の長男で、大泉の父・恒彦もクラスの人気者だった。

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祖父・恒三について大泉洋は「非常に愉快な人でした」などとコメントした。

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母方のルーツ 愛媛で足跡を追う

母方・清水家のルーツに迫った。大泉洋の曽祖父・肇は、明治時代、愛媛県松山市で暮らしていたことが分かった。今回の取材でその松山市で暮らす親戚を見つけた。精神科医の越智眞理さんは曽祖父が大泉と一緒。越智さんによると、肇は伊予鉄道の駅長をしていたという。駅長をする前は日露戦争の最大の激戦・旅順攻囲戦に参加していたことが判明。専門家によれば、少尉だった肇はかなりの命の危険があったと考えられるという。そんな勇ましい父の下で育てられたのが、四男・泰。大泉の祖父。泰は勉学に勤しみ、夏目漱石が教えたことで知られる旧制松山中学校に通う。卒業後は慶應義塾大学 経済学部に進学した。

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ハワイで探る 祖父母の結婚の謎

母方・清水家のルーツに迫った。大泉洋の祖母・シズコはハワイで育った。ハワイに移住していた泰の伯父とシズコの父が同じサトウキビ工場で働いていて、さらに隣同士で暮らしていたことが判明。大泉洋の祖父・泰と祖母・シズコの結婚は、泰の伯父がキューピッドだったと考えられる。

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大泉洋は子どもが6人いながら職を失った祖父・泰について「自分だとしたら空恐ろしいですよね」などとコメントした。

北の大地に希望を託して

母方・清水家のルーツに迫った。大泉洋の祖父・泰は、家族を養うため、北海道に新天地を求めた。清水家が移住したのは現在の愛別町にある徳星集落。1年が過ぎても泰の畑仕事は思うように進まず、清水家は貧しい生活を強いられた。そんな中、泰を救ったのは、かつて学んだ英語。中学教師の職を得ることができた。なんといっても、泰にはハワイ育ちの妻・シズコがいた。

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大泉洋は「おふくろの小さい頃の苦労話はいくつか聴いた。あらためて聴いたら涙出ましたね」などとコメントした。

父と母の恋 純情青春日記

大泉洋の父・恒彦と母・正子は北海道学芸大学旭川分校で出会った。2人は付き合うまでの過程をはっきりとは覚えていない様子。しかし、恒彦が書いていた日記には正子へのラブレターが書かれていた。

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トーク

大泉さんはこっ恥ずかしい話しだけど涙が出たと感想を話した。

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父も母も 生徒に寄り添う先生に

大学を卒業して教師になった恒彦と正子は昭和34年にそれぞれ大きな転機を迎える。恒彦は北海道旭川盲学校に理科の教師として赴任。目の不自由な生徒たちを前に大きな挫折を味わった。そして、東京教育大学で1年間、盲教育を専門的に学んだ。目の見えないことに幅があることが分かったという。小学校の教師をしていた正子はハワイの叔父から英語を勉強しないかと誘われ、昭和34年にハワイの学校に入学する。それぞれ勉強を重ねて北海道に戻った2人は昭和38年に結婚した。正子は中学校の英語教師に転身した。教え子の川本さんは誰よりも生徒思いの先生だったと話す。恒彦は盲学校で生徒一人ひとりにあった教育を実践していく。教え子の田中さんは今でも恒彦の授業が忘れられないという。恒彦は自らが地球になり自転と公転を教えたという。昭和41年に長男・潤が誕生、昭和48年には二男の洋が誕生した。

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大泉さんは両親の細かい話しは知らなかった、こういういい話しはもっとしてくれればよかったのに、知らない話しばかりだと話した。

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大泉洋
俳優の道へ 父と母の思い

愛情深い両親の元で育った洋さんは人を喜ばせるのが大好きな少年だった。高校3年のときに東京の名門大学を目指すが不合格。かつて、親から反対されて東京の大学を受験できなかった父の恒彦さんは子どもたちがやりたいことは借金してでもやらせてやりたかったという。2浪したが志望校には受からず、地元の北海学園大学に進学。演劇研究会に入部し仲間と出会う。平成8年にTEAM NACSを結成。その後、東京に出て本格的に俳優活動をスタートした。洋さんは不動の人気を誇る俳優になった。母の正子さんは洋さんの出演作を楽しめるようになったのはつい最近だという。緊張してしまうだという。恒彦の盲学校時代の同僚だった羽田さんはテレビで洋さんをみていると恒彦さんの姿が重なるという。恒彦も演劇が好きで宴会のときに寸劇をしていたのだという。

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トーク

VTRをみて涙ぐんだ大泉さんはハンカチを入れておくんだったと話した。

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大泉洋
(エンディング)
次回予告

ファミリーヒストリーの次回予告。

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