徳川家康の孫、千姫は豊臣秀頼に嫁いだ。戦乱によって北野天満宮が被害を受けると、秀頼は再建する。この他、支援した寺社は京都だけで19ヶ所にのぼった。秀頼の父、秀吉は荒廃した寺社を復興することで天下人としての存在感を示そうとしたが、秀頼もその政策を承継していたといえる。また、秀吉、秀頼は宗教の頂点に立つ寺として方広寺を築き、境内の大仏は高さ19mにのぼった。ただ、方広寺の梵鐘には「国家安康君臣豊楽」と刻まれ、家康を斬って豊臣が栄えると解釈できると、家康が指弾。対立を深めた末、大坂の陣が勃発。豊臣滅亡後、徳川は大坂城を徹底的に破壊した。落城間際、秀頼は千姫を家康のもとへ帰らせた。