昭和45年、後に千代の富士となる秋元貢(15)が九重部屋に入門。兄弟子の横綱・北の富士を相手に稽古に励んだ。その姿は飢えたオオカミのようだったことから「ウルフ」と呼ばれるようになる。昭和48年の春場所で千代の富士は左肩を脱臼。次の場所でも脱臼し、ひどい時は夜に寝返りを打つだけでも肩が抜けてしまった。右肩も脱臼し、ふさぎ込んでしまった千代の富士を救ったのは、新たに九重親方となった元北の富士だった。自分の相撲を見つけろと言われた千代の富士は猛烈な筋力トレーニングを始め、弱点だった肩の関節を筋肉で固めた。それまでの強引な投げ技をやめ、立合いから一気に前に出る速攻相撲に変えた。佐渡ヶ嶽部屋へ出稽古に趣き、一番苦手としていた大きな体の琴風と稽古に励んだ。
千代の富士が東の関脇としてのぞんだ昭和56年初場所、初日の相手は琴風だった。寄り切りで勝利した千代の富士は勢いに乗り4連勝。5日目に一度も勝ったことがない横綱・輪島に勝利すると連勝を続け、12日目は横綱・若乃花に勝利。14戦全勝の単独トップで千秋楽を迎えた。相手は一敗で追う横綱・北の湖。北の湖が勝利し、優勝決定戦にもつれ込んだ。優勝決定戦では千代の富士が勝利して優勝。千代の富士は敗れた一番で北の湖の弱点「ヒザ」を見抜いていた。初場所後に大関に昇進した千代の富士はこの年に横綱となった。
千代の富士が東の関脇としてのぞんだ昭和56年初場所、初日の相手は琴風だった。寄り切りで勝利した千代の富士は勢いに乗り4連勝。5日目に一度も勝ったことがない横綱・輪島に勝利すると連勝を続け、12日目は横綱・若乃花に勝利。14戦全勝の単独トップで千秋楽を迎えた。相手は一敗で追う横綱・北の湖。北の湖が勝利し、優勝決定戦にもつれ込んだ。優勝決定戦では千代の富士が勝利して優勝。千代の富士は敗れた一番で北の湖の弱点「ヒザ」を見抜いていた。初場所後に大関に昇進した千代の富士はこの年に横綱となった。