長岡は3兄弟の末っ子で、父・尚恭さんは中学校教諭で野球部監督。その影響で兄と野球を始めた。食事に送り迎え、洗濯と母・綾子さんは献身的に支えてきた。八千代松陰高校に進学した長岡が1年生のとき、綾子さんは白血病と診断された。移植のための適合検査の結果、白血球の型が最も近かったのは長岡だった。移植の方法は末梢血幹細胞移植で、白血球を増やす注射をすると痛みが出て中には入院する人もいるという。長岡はグラウンドに立てない日々が1週間以上続いた。移植手術は無事成功したが、移植による合併症の症状があり闘病生活が続いた。病気と闘う母に良い姿を見せたいと長岡は野球に励み、1年の秋にレギュラーを獲得した。同級生の母親たちは日替わりで長岡の弁当を作り、仲間たちが届けてくれた。高校3年の夏、最後の大会のときには球場に来られるまでに回復した綾子さんの姿があった。長岡は決勝まで勝ち進んだが甲子園には出れず、野球を続けるべきか悩んだ。
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