千里ニュータウンは日本最初の大規模ニュータウンとされ、10万人ほどが暮らしている。太陽の塔の魅力を語る奥居武さん。名刺の肩書はニュータウン育ち×ニュータウン研究者。その原点は万博との出会い。奥居さんは1964年5歳の時に千里ニュータウンへ引っ越してきた。万博に先駆けて開発された千里ニュータウンは鉄道・道路・学校・商店までが計画的に配置された当時最先端の街。そんな千里での万博開催決定をいち早く伝えたのは父・重勝さん。会場は家の目と鼻の先。急ピッチで工事が進んだ。街から見えた会場を描いた絵を紹介。出来上がってみないと分からないっていうワクワクしかなかったという。1970年3月、万博開幕。奥居さんも会場へ。自宅から見えたソ連館を訪ねて驚いたのは真っ赤だったこと。家から見えていた面は真っ白だったが、こんなデザインの切り替えがあったんだと思ったそう。会場までは自宅から30分。狙ったのは夜の時間だった。入場料が17時以降は昼間の半額の200円。しかも夜は空いていた。奥居さんは全てのパビリオンを制覇しようと挑戦。訪れた場所を細かくチェックした。故郷・千里ニュータウンの隣で開かれた万博。未来はワクワクした世界だと奥居さんの心に確信させた。