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「南三陸町(宮城)」 のテレビ露出情報

きのうで東日本大震災から14年、震災当時、楽天で特別な思いを胸に戦った田中将大(当時22歳)と嶋基宏(当時26歳)の2人が、現在の心境を語った。きのう、被災地・仙台を本拠地とする東北楽天ゴールデンイーグルスは、静岡でヤクルトとのオープン戦を開催し、試合前に黙祷を捧げた。震災当時、楽天でバッテリーを組んで活躍していた2人。元楽天のヤクルト・嶋基宏コーチ(40歳)は「今は着ているユニホームは違いますけど、(震災を)忘れたことはないですし、これからも忘れることはない」、元楽天の巨人・田中将大(36歳)は「僕を育ててくれた東北への思いは変わりません」と語った。東北への思いを胸に、2人の軌跡をたどる。2011年3月11日午後2時46分、東北の地が大震災に襲われた。楽天の選手たちは“野球をやっていいのか”と自問自答したという。震災から3週間後、当時、チームの選手会長を務めていたキャッチャーの嶋基宏がつむいだ言葉が「見せましょう、野球の底力を。共にがんばろう東北。支え合おうニッポン」だった。「野球の底力」「がんばろう東北」という思いを胸に、当時22歳だった田中将大もプレーの傍ら被災地を訪問し、復興を願う人々の心に寄り添った。震災から1か月後のロッテとの開幕戦では、嶋基宏が試合を決めるホームランを放って底力を見せ、希望の一打となった。2年後の2013年、“絶対的エース”に成長した田中将大(当時24歳)は前人未踏のシーズン24連勝無敗という大記録を達成し、チームを初のリーグ優勝に導いた。そして2013年11月3日、巨人との日本シリーズ第7戦の最終回のマウンドに立った田中将大。被災地のパブリックビューイングや仮設住宅では、テレビの前で祈る多くの人がいた。そして、ついに楽天が悲願の日本一を達成し、「野球の底力」を信じ続けた東北が歓喜に包まれた。震災から14年となったきのう、楽天vsヤクルトの試合前、黙祷が捧げられた。元楽天でヤクルト・嶋基宏コーチは「忘れられない日。(震災を)忘れたことはないし、これからも忘れることはない」とコメント。巨人に移籍し再起を誓う元楽天・田中将大は「2011年3月11日は楽天でプロ5年目のシーズン開幕を迎えようとしていた時期でした。宮城に戻り、訪れた被災地の光景は今でも忘れられません。東北の皆さんに何とか勝利を届けたい、何かを感じていただけるプレーをしたいという思いで戦い、日本一になった2013年。その時の日本シリーズで対戦した相手でもあるジャイアンツで、今シーズンを迎えます。僕を育ててくれた東北への思いは変わりません。震災を風化させないために、これからも自分に何ができるのかを考え、行動していきたいと思います。プロ19年目も1試合1試合、1球1球に気持ちを込めて投げていきます」とコメント。

他にもこんな番組で紹介されています…

2025年4月7日放送 5:00 - 6:00 NHK総合
NHKニュース おはよう日本地域発ニュース
宮城県南三陸町では、東日本大震災の記憶や教訓を伝えようと地元の子供達が「語り部バス」に無料で乗車できる取り組みが行なわれている。この日は小中学生6人が参加。津波の跡などを見学。

2025年4月4日放送 14:05 - 14:50 NHK総合
列島ニュース仙台局 昼のニュース
東日本大震災の記憶や教訓を次の世代に伝えようと、南三陸町では春休み中の地元の子どもたちが語り部バスに無料で乗車できる取り組みが行われている。「南三陸ホテル観洋」では大きな被害を受けた町内の沿岸部をバスで案内する語り部バスを震災直後から運行している。バスの乗車が無料となるのは南三陸町と気仙沼市に住む小学生から高校生で期間は今月7日まで。

2025年3月27日放送 2:36 - 3:06 NHK総合
ダーウィンが来た!ダーウィンが来た! CUTE!DANCE!FAMILY!
シマエナガは北海道に生息。羽ばたくシーンなどを紹介した。更にラッコ、ダンゴウオ、テントウムシ、ハリモグラ、エゾユキウサギを紹介した。
カリプトケファラ、エゾモモンガ、チンアナゴ、ミーアキャット、ミユビナマケモノ、アホウドリ、コウロコフウチョウ、オナガラケットハチドリ、イワドリ、キモモマイコドリの映像を紹介。
ニューギニア島のタンビカンザシフウチョウ、チコ[…続きを読む]

2025年3月21日放送 1:55 - 3:07 NHK総合
東北ココから照英の全力!三陸スナック
南三陸町で1軒だけ営業しているスナック、愛に恋を紹介。田老地区で唯一営業しているスナック、ボルニカを紹介。

2025年3月20日放送 2:06 - 2:56 NHK総合
NHKスペシャル(オープニング)
東日本大震災による津波から逃れようと、宮城・南三陸町の旧防災対策庁舎には54人が身を寄せたが、11人のみが助かった。同庁舎は昨年、震災遺構として残されることが決まった。番組では遺族、生存者、町職員へ取材を続けてきた。

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