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「原爆症」 のテレビ露出情報

シンガーソングライター・さだまさし(72)。1952年長崎市出身、叔父と叔母が被爆。さださんは去年、デビュー50周年のアニバーサリーツアーを開催、これまでに4600回以上のソロコンサートを行っている。1945年8月9日午前11時2分、アメリカ軍は原爆を長崎に投下。1945年末までに約7万4000人が死亡したとされる。さださんは「原爆の傷跡は街中にいっぱいのこってた。戦争というものがつい数年前に終わった感覚」などと話した。叔母から聞いた被爆体験について。さださんは「原爆の時の話は遠慮して子どものころは聞かなかった」「原爆を落とす前に観測機器を先に落としてるんですね。それは黄色いパラシュートで降りたらしいんですよ。叔母は爆心地から3キロちょっとの軍事工場で黄色いパラシュートに付いて何か落ちてくるのを見てるんですよ。で友達に詳しい子がいるからその子探して地下に駆け込んだ瞬間にドンときてる。ですから直接はしてないんです。地下室から上がってきた時にきれいに何もなかったって言ってました」「叔母は自分が被爆したことを恨んでなかった。戦争だから仕方がないという言い方をしましたね」などと話した。
さださんは「夏 長崎から」と題した野外コンサートを8月6日広島・原爆の日に開催していた。1987年から20年にわたり無料で続けられた公演。さださんは「無料にこだわった理由は、500円でももらうと子どもは留守番なんですよね。無料だと家族で聴きに来てくれる。家族揃って音楽を聴くのはひとつの平和の象徴だと思った」「20年スタッフは我慢してくれた。最初から来てくれている子には何か伝わっているだろうという確信を持って20年目にやめましたね」などと話した。1993年、叔母の被爆体験を歌った「広島の空」。さださんは「あの当時は”怒りの広島、祈りの長崎”という言葉があったんですよ。広島は世界で初めての被爆地だから怒りの方が大きかった。長崎の爆心地はクリスチャンが多く住んでいた土地だったもんですから怒りよりも祈ろうと、もうこんなことが起きませんように」「長崎が”最後の被爆地”であってほしいと思うが広島が”最初の被爆地”であることは永遠に変わりませんから」「叔母の思いをどうしても伝えたかった」などと話した。
さださんは長崎に生まれた者の責任としてこれからも被爆者の声を伝えていきたいと考えている。来年、原爆投下から80年。さださんは「80年目の来年は長崎から何かを伝えようとは思います。「夏 長崎から」を80年目はやろうと思います」などと話した。

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