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「原爆症」 のテレビ露出情報

吉永さんはベトナム戦争があった地を巡っており「見て歩くことで自分が知らなかった場所や知らなかったことを知るために博物館や記念館はきちっと行くようにしている。(今年は戦後80年だが)戦後100年になるといいですね」などと話した。池上さんは「吉永さんは東京大空襲の直後にお生まれになったんですよね」と言うと吉永さんは「直後といいますが、私の方の地区は渋谷区なんですが、5月の頃の空襲が一番大きくてダメージを受けたと母に聞いた。防空壕はあって、1~2歳の頃は防空壕の中でおままごとをして遊んだ」などと話した。吉永さんは戦争をテーマにした作品にも多く出演している。「自分から出演したいって言ったことはないが、例えば『愛と死の記録』は4歳のときに原爆を受けて20歳で亡くなった青年と、その青年の恋人で1週間後に後追い自殺をした女性の話」と話した。この作品は渡哲也さんとの初共演が話題となった。平成30年に公開された「北の桜守」。物語は昭和20年の南樺太(現在のサハリン)から始まる。戦後の混乱と貧困の中、吉永さん演じるてつは息子を懸命に育て上げるが、やがて記憶障害を発症。戦争により引き裂かれた家族の再生の物語。80年前の昭和20年8月9日、ソ連は日本との中立条約を一方的に破棄し、南樺太・朝鮮半島・千島列島に侵攻した。その際に軍人・民間人約57万5,000人がシベリアなどに矯正抑留され、多くの人が犠牲となった。また、家族や仕事の理由などで日本に帰れなかった人も多くいた。昭和20年8月22日、南樺太からの引き揚げ船が留萌沖でソ連軍の潜水艦に襲撃された。その船は今も留萌沖に沈んだまま。今年8月、水中ドローンが沈んだ船の撮影に成功した。魚雷が当たったとみられる穴も空いている。この襲撃で死者・行方不明者は1,700人以上に及んだ。吉永さんは「大変な思いをなさった方たちがたくさんいた。私たちが知らないところで苦労して生きてこられた方たちの話は、大事に伺って自分たちの棟の中に持っていなきゃいけないと思う」とコメントした。「あゝひめゆりの塔」は昭和43年公開の沖縄戦・ひめゆり部隊を描いた作品。吉永さんは「まだ沖縄が返還されていなかったので、伊豆半島でロケをしたんです。大変なロケで私もヤケドをした。映画を撮り終わって封切りになった時にパスポートを取ってひめゆりの塔にお墓参りに行ったんです」などと話した。

他にもこんな番組で紹介されています…

2025年8月9日放送 17:30 - 18:50 TBS
報道特集(特集)
5歳の時、広島で被爆した張本勲さん。半世紀以上もその経験を誰にも語れなかったという。張本さんはその理由について「原爆症を持っている男だと思われるのは嫌だ うつりはしないけど、子どもの頃差別されたところを見ているから言わないほうがいいだろうと」と明かした。「小学校に行ってケロイド姿の先輩たちが何人もいた 父兄はわからないからうつるから近寄るなと」と語った。体に[…続きを読む]

2025年8月8日放送 18:30 - 21:58 フジテレビ
ザ!戦後80年の映像遺産SP 池上彰×加藤浩次の運命の転換点(ザ!戦後80年の映像遺産SP 池上彰×加藤浩次の運命の転換点)
原爆ドームはかつて取り壊しの危機に瀕していた。廃墟のように扱われ壁は崩壊寸前。だが後に原爆症で命を落とした一人の女学生の声が原爆ドームの運命を変えた。

2025年7月27日放送 4:30 - 4:57 NHK総合
NHK地域局発(CONNECT)
被爆者の切明千枝子さんに密着取材。切明千枝子さんは、1929年に広島市で生まれた。切明さんの父親は軍用戦を作る工場長で、軍需工場の敷地内にあった幼稚園で育った。1945年8月6日、広島に原爆が投下され、切明さんは母校で下級生の手当てにあたった。切明さんは、原爆で亡くなった友について句や歌に詠み続けてきた。
切明千枝子さんが、ドクダミが原爆症に効くと母親に飲[…続きを読む]

2025年5月28日放送 10:25 - 13:00 テレビ朝日
大下容子ワイド!スクランブルピックアップNEWS
今年、戦後80年を迎えるが、平和を願って広島で生まれたエスキーテニスというスポーツがある。スポーツを通して平和を学ぶ姿を取材した。東広島市立龍王小学校で77年前に広島で生まれたエスキーテニスの体験授業が行われた。ルールは卓球とほぼ同じ。日本エスキーテニス連盟・東城瑞穂さんの分かりやすい指導のもと、子どもたちはメキメキ上達。エスキーテニスでは同じプレーヤーが2[…続きを読む]

2025年3月17日放送 5:00 - 6:00 NHK総合
NHKニュース おはよう日本(ニュース)
東京・八王子市の霊園には身寄りのない被爆者や被爆者の家族などの遺骨を埋葬するために建立された共同の墓があり、これまでに59人の遺骨が納められている。3歳のときに長崎で被爆しおととし81歳で亡くなった坂本治子さんの遺骨が納められ、親交のあった被爆者や関係者が集まって祈りをささげた。坂本さんは2008年に甲状腺機能低下症と診断され、原爆症の認定を申請したものの却[…続きを読む]

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