終戦直後の混乱で中国に取り残された残留孤児について、昭和56年から国の帰還事業が始まり厚生労働省によるとこれまでにおよそ2800人が中国残留孤児として確認されているがこのうち半数以上にあたる1500人余りが今も肉親を見つけ出すことができていない。家族を失い引き取られた中国人の家庭でも過酷な状況に置かれた中国残留孤児を語り継ごうという取り組みが行われている。今月、都内で行われた中国残留孤児を子どもたちに紹介するイベントで残留孤児から直接、聞き取った語り部がその過酷な体験を説明した。語り部の1人、高野好美さんは69歳で直接、戦争を経験していない。その一方で母親のミチさんは戦時中、旧満州、現在の中国東北部で男性と娘の3人で暮らしていた。しかし男性はソ連に抑留されて行方不明となり娘は幼くして亡くなったという。母親は生前、中国残留孤児の肉親捜しについて報じた新聞をいつも真剣な表情で読んでいた。6年前に中国残留孤児の語り部に応募したきっかけはそうした母親の姿が記憶に残っていたからだ。高野さんはこの日、中国残留孤児の支援などを行っているセンターを訪れイベントについての打ち合わせを行った。高野さんが紹介する残留孤児は7歳のときに中国に取り残された男性。男性は目の前で父親が殺され中国人の家庭に引き取られたが、十分な食事を与えられず暴力を振るわれたこともあった。永住帰国が実現したのは戦後49年がたった1994年だった。高野さんには迷いがあった。父親が目の前で殺されるといった残虐なことをそのまま伝えてもいいのか、センターの人にアドバイスを求めた。イベント当日、高野さんは男性の過酷な体験をそのまま語ることにした。引き取られた当時の家庭の暮らしも絵などを使って説明した。終了後、中学3年生が高野のところに来て「今も続いている問題として興味を持った」と感想を伝えてきた。高野さんは「同じことを繰り返さない、どうしてそうなったのかを考えるきっかけになれれば」と話していた。