全国で同時多発的に巻き起こった「打ち壊し」。江戸では武家屋敷が立ち並ぶ赤坂でも発生した。赤坂に住む旗本・森山孝盛が打ち壊しを行う人々について、「米や大豆を盗まず、近隣へ配慮するなど統率の取れた集団であった」と日記の書き記している。当時、東京・千代田区の常盤橋門のそばに北町奉行所があり、北町奉行・曲淵景漸が自らも市中に出動したが、対応は後手にまわり、鎮圧には至らなかったという。打ち壊しの波が江戸中へと広がる中で、米商人と幕府を糾弾する内容が書かれた旗がたてられたと当時の記録に残されている。天明の打ち壊しは、困窮する民衆が幕政の是非を問い決起した事件として語り継がれている。
住所: 東京都千代田区