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「国立国会図書館」 のテレビ露出情報

群馬県高崎市のカラオケ店。気持ちよさそうに歌っているのは依頼人・安居克明さん(73歳)。周りで盛り上げているのは高校時代からの友人2人。お宝は知る人ぞ知る詩人にまつわるもの。3年前、蔵の中を整備していた時、ガラクタの山の中から2冊のスケッチブックが。表紙には作者の名前が書かれており、大伯父にあたる方の名前だった。改めて調べたところ、熱狂的なファンがいると知った。大手拓次は萩原朔太郎・室生犀星と共に北原白秋旗下の三羽烏と称されながらも生前1冊の詩集も出せずに散った不運の詩人。1887年、群馬県磯部温泉の旅館「鳳来館」に生まれ、早稲田大学文学部英文学科に進学したが、熱中したのはフランスの象徴詩であった。象徴詩とは暗示的な語句を用いて直接的には掴みにくい内容を表現しようとする詩のこと。卒業後は就職せず詩作に没頭。25歳の時、北原白秋が主催する文芸誌「朱欒」に一変の象徴詩を発表する。言葉のリズム感、安易的な語彙、何より独創性から白秋は驚異的詩才と絶賛した。また、この詩は話し言葉で定型にとらわれない口語自由詩である。口語自由詩は萩原朔太郎が確立したとされるが、「自分より一日の長がある」と言わしめた。29歳、小林富次郎商店(現在のライオン株式会社)に広告文案係として入社。今で言うコピーライターである。拓次にとっては才能を活かすことができる良い職場であった。また、広告を作るため社内の香料調合研究室に通ううち、花々の香りに興味を持つようになり、特に薔薇をテーマにした詩を書いた。拓次は詩集を出すことを夢見て白秋に原稿を託したが、結核を患い46歳で他界。初の詩集「藍色の蟇」が出版されたのは悲運の死から2年後のこと。白秋は26ページにも及ぶ序文を寄せた。こうして世に出た拓次の詩は神秘的で不思議な魅力に満ち、今なお新たなファンを獲得し続けている。依頼品は大手拓次のスケッチブック2冊。1冊は詩画集「蛇の花嫁」挿画原本。「蛇の花嫁」は死後に出版された2冊目の詩集。もう1冊は表紙に「自筆スケッチ」とある。
住所: 東京都千代田区永田町1-10-1
URL: http://www.ndl.go.jp/

他にもこんな番組で紹介されています…

2026年8月4日放送 5:20 - 8:00 TBS
THE TIME,TIMEマーケティング部
旅行ジャーナリストの村田さんイチオシの江戸東京博物館は、今年3月にリニューアルオープンしたばかりだ。また入場料が通常800円のところ、ぐるっとパスで無料で入れる。常設展示では、江戸時代の日本橋やリニューアルオープンに際して新設された服部時計店などが見られる。また、来館していた家族がおすすめした体験展示では、じんさんが町火消しの纏を持ち上げるなど実際に体験し、[…続きを読む]

2026年8月1日放送 22:00 - 22:30 テレビ東京
新美の巨人たち新美の巨人たち
庶民の憧れであり、一生に一度と言われたお伊勢参りは明治以降鉄道の発達で、お伊勢参りの人口が急増した。参詣客の増加に対応するために大阪電気軌道は1927年に伊勢へ直行できる参宮急行電鉄を設立した。1930年には大阪~伊勢間の営業運転を開始。しかし山田駅は先行して開通した鉄道省との共同使用駅。独立した伊勢神宮の玄関口にふさわしい駅を作りたいと参宮急行電鉄は考えた[…続きを読む]

2026年7月31日放送 19:55 - 21:00 テレビ東京
所さんのそこんトコロ!城下町で殿様ご飯を完全再現!
300年に渡って栄華を極めた城下町・川越で殿様飯を調査。酒井忠勝や松平信綱をはじめ、徳川家を支えた錚々たる名君が川越を治めてきた。殿様飯の完全再現を目指す。まずは服部民俗資料館へ。新河岸川近くの斎藤家に資料があるかもしれないという情報を得て斎藤家へ向 かった。斎藤家はかつて江戸時代の船問屋・伊勢安で、現在も蔵に大量の資料がある。日本経済新聞の初刊から昭和の終[…続きを読む]

2026年7月28日放送 4:55 - 8:00 テレビ朝日
グッド!モーニングGOOD!いちおし
徳川家康は家康の血統ははっきりしないが、征夷大将軍になるのは源氏の血を引いていなくてはならない。そこで家康は家系図作成し源氏の子孫を称して征夷大将軍に就任した。有力家臣には徳川分家の「松平」性を与えるなどして人身掌握に務めた。伊達政宗もそのひとりである。また三方ヶ原の戦いで武田信玄に惨敗した際に食事を与えてくれた農家に褒美として名字を与えるなどした。本能寺の[…続きを読む]

2026年7月25日放送 19:30 - 20:07 NHK総合
ブラタモリ名古屋・大須商店街
タモリらは万松寺を訪れた。万松寺は織田信長の父・信秀が建てた寺。万松寺の屋根には尾張徳川家の家紋。当初、万松寺は別の場所にあったが、徳川家康が寺町をつくった際に移転。移転後、初代の尾張徳川家藩主の正室の墓が設けられ、尾張藩の庇護を受けるようになったという。万松寺は広い敷地があるにもかかわらず、その境内は一般開放されていなかった。しかし、明治維新が起きると尾張[…続きを読む]

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