2016年、工事が迫っていたなか、白石に腫瘍が見つかり手術をした。白石は抗がん剤を打ち仕事へ向かい続けた。そんな中白石はJRのある計画に目を止めた。線路移植で干渉する通路を 封鎖する計画。14か月全体が通れなくなる。その間は駅から出て大通りを渡らないといけない。客に大きな負担を強いるが回避する方法はなかった。それでも白石は諦めず、なんとか方法を見つけてくれとJRの新関に要求を投げかけた。新関は部下とともに考え、線路の上にかかる道を毎回作り直すしかないと結論をだし実行した。2017年、夏、白石がなくなったという知らせが現場に届いた。全員が工事を必ず成功させると誓った。2019年12月、東京メトロが銀座線のホームを動かす工事が始まった。電車を止めるのは年末から正月までの6日間のみ。問題は大量の工事部材で置く場所がなかった。所長を任されていた。白子慎介は駅の屋根に隙間を作り、そこから部材を搬入するという方法を考えていた。1月3日、見事、銀座線の移動は終わったいよいよバトンは、アンカーのJRに渡った。新関が会社を説得してこだわった埼京線の位置。2回の大規模工事で近づけた。最後は山手線の工事だった。動線をシンプルにするため外回りを廃止し内回りと1つにまとめる。駅の北側にある橋も動かす大工事。通常なら5日以上かかるが、山手線を止められるのは2日間が限界だった。任せられたのは、かずかずの年工事を手掛けた山田啓介だった。山田は別の場所で作業を再現する試験施工を行い徹底的に練習と検証を重ねていった。295の工程の中で唯一確認できなかったのが宮益架道橋。宮益架道橋を調べるにはフォウ呂封鎖する必要があったが交通への影響が大きく断念した。