ニューイヤー駅伝に20回目の出場を果たした西鉄には新たに設楽啓太・悠太兄弟が加入。中学から陸上を始めた2人は学生駅伝のスターとなり、東洋大学時代には箱根駅伝で2度の総合優勝を経験。大学を卒業後は兄の啓太がコニカミノルタ、弟の悠太がHondaで活動。初のニューイヤー駅伝では2人による直接対決が行われ、共に実力を発揮した。しかし、弟の悠太がマラソンの日本新記録を樹立する一方で啓太はケガによる成績不振に悩まされる。チームの変更や弟が所属するHondaとの合同合宿などで打開策を探った啓太だが、同じ頃悠太も転機を迎えていた。