どうすればオリンピックを追い風にできるのか、横山は1人の男を推薦。かつて大会の賞金が少ないと嘆いていた早川大輔。早川は関係者が集まる場に呼ばれ「今日から君が日本代表のコーチだ」と告げられた。早川は中学の時、規律の厳しい部活動になじめずスケートボードを始め一気にハマった。20代、憧れのアメリカでプロを目指すも挫折、帰国後は若い世代に夢を託そうと裏方の仕事も始めた。時にトラック運転手もしながら若手の留学資金を工面、スケートボードへの思いは人一倍だった。代表コーチに戸惑う早川に横山は「大ちゃん君はスケートボードに選ばれてしまったんだよ」と言った。それは横山がかつてフリーペーパーに記したメッセージ。その言葉に早川は「この人は自分の生きざまを認めてくれている」と確信。しかしいざコーチを始めるとすぐ壁にぶつかった。他の競技に倣って行った強化合宿。皆一番練習したい大技に取り組もうとしなかった。スケートボードでは見栄えがするオリジナルの技ほど高く評価される。早川はやり方を見直すことにした。自ら日本各地の練習場に赴き個別に向き合う。それぞれのスタイルを尊重し挑戦する背中を押す、それがスケートボードのコーチの役割迎えた2021年東京オリンピック。スケートボードが史上初めて世界最大のスポーツの祭典で行われる。その舞台に日本代表として乗り込んだ堀米雄斗。ひそかに磨いてきた大技を用意していた。後ろ向きでレールに飛び乗り270度回転してボードを滑らせるノーリバックサイド270°ボードスライド。この失敗で堀米は一つのミスも許されない状況に追い込まれた。助言を求められた早川はまっすぐに「お前なら絶対にできる」と答えた。堀米は再び新技を選んだ。自分のスタイルを貫いた堀米。オリンピックの初代チャンピオンに輝いた。その姿を感慨深く見つめる者たちがいた。かつて街の邪魔ものといわれてきたスケートボード。それでもスケートボードにしかない魅力を信じて走ってきた。勝ち負けよりも自分だけの技にこだわりライバルともたたえ合う。選手たちは全身でスケートボードを表現した。先人たちがまいてきた種はオリンピックで花開いた。