1943年の第二次世界大戦期間中にイギリス植民地だったインド東部のベンガル地方で約300万人が死亡する大飢きんが発生した。前年に当時インド領だったビルマを占領した旧日本軍はインド本国攻略に向けてベンガル地方へと進軍したが、イギリス当局は地帯戦術の一環としてベンガル地方のインフラを破壊し、結果として食料の輸送網が断絶された。また旧日本軍の進軍前には現地で保管していた米などが奪われるのを防ぐためすべてがイギリス当局の管理下に置かれ、サイクロンによる被害も加わった事で深刻な食料不足が発生した。当時10代だったマロティ・マイティさんによると餓えを凌ぐために草を刻んで食べていたといい、村人たちは皆骸骨のようにやせ細っていたという。この大飢きんの記憶を語り継ぐ活動をしているサイレン・サルカールさんによると飢きんの犠牲者は主に低カーストのヒンドゥ教徒やイスラム教徒ら社会的弱者で、こうした事実はこれまで地元のベンガル地方で殆ど教わる機会がなかったという。大飢きんは農村部から都市部へと広がっていき、ベンガル地方の大都市 コルカタでは食料を求めた大量の農民らが押し寄せた結果、食料事情が急激に悪化していった。路上は餓死者の遺体で溢れ、僅かな食料を求めて人身売買も横行したという。