昭和20年8月6日月曜日に広島に原子爆弾が投下された。市街地の建物は一瞬で倒壊し、多くの人の命が失われた。その中の1人が山田香さんで当時15歳の女学生だった。これは香さんが遺したノートにまつわるファミリーヒストリーである。投稿をくれた山田幸成さんの自宅にお邪魔した。そこで見せてもらったのは幸成さんの伯母にあたる香さんのノートであった。この中で特に気になるものの題名は「永遠の記」というものだった。それは香さんに当てた同級生からのメッセージで埋め尽くされていた。そのメッセージを書いた20人の女学生たちは今どうしているのか。まず向かったのは当時通っていた女学校で現在の進徳女子高等学校。当時山田家は学校からおよそ30km離れた大竹市にあり、1時間近くかけて通学していたという。手がかりを求めて同窓会の会長である山田郁子さんを紹介してもらった。名簿を調べてもらうと3名くらい住所が載っていた。そして同窓会長に同行してもらい3人の住所を訪ねることとなった。1人目はもう家がなく、2人目は体調不良のため話を聞くことはできなかった。最後の1人を訪ねると当時の話を聞くことができるようになった。下甲ハルヱさんに話を聞き日ごろからクラスがにぎやかで香さんは歌が上手で明るかったなどと話した。また3月18日は香さんの誕生日だったためその寄せ書きであることもわかった。だが戦争は激しさを増し学徒動員が始まり、香さんたちの女学校も授業が停止となり県内の工場へ動員されることとなった。今回の資料では香さんの動員先が見つかり、そこは日本製鋼所広島製作所であるとのことだった。女学生たちは主に、航空機を攻撃する銃の弾の生産作業を行っていた。原爆の日は動員先の工場ではなく鶴見橋付近にいたという。動員先からは離れていた場所だが原爆の日はちょうど休みの日であったからで、なぜその場所にいたかというと楽しい休日を友人と過ごすためいたのではないかとのこと。鶴見橋付近で被爆し一命はとりとめたがその5日後、広島市東区北部にある戸坂で亡くなっていた。