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「天皇杯」 のテレビ露出情報

朝7時半、松本光平の1日が始まる。視力の関係で運転できない松本をチームメイトが毎日交代で練習場まで送る。高知ユナイテッドは今季JFLから初めてJ3昇格を果たしたクラブ。選手はほぼ全員が20代で36歳の松本はチーム最年長。松本は5年前、トレーニング器具の金具が外れ目を直撃する事故に見舞われた。手術したものの視力の強制はできず、強い光を浴びると目が痛むため練習ではサングラスが欠かせない。例えば30mほどの距離からボールを受けるとき、右目はほぼ見えず、左目もぼやけてブレて見える。キッカーを認識することも難しい中からボールが飛んでくるという。しかし、松本はこともなげにトラップしている。ボールがよく見えない中でも正確に認識するための訓練を積んできた。得意とするポジションは右のウイングバック。運動量を生かした果敢な攻撃参加を武器としている。
一人暮らしの日常生活もほとんど人に頼ることはない。食事のとり方にはこだわりがあり、調味料はほとんど使わず食材をそのまま食べる。あっという間に食事を終えると体のケアへ。自宅には様々な器具がある。部屋にあるのはサッカーに関するものばかり。サッカー以外のものを取り除いた暮らしで、毎日夜9時には眠りにつく。
地元・大阪のサッカースクール。松本は小学生の頃から通いトレーニングに取り組んできた。日本を代表する多くの選手が巣立ったこのスクールは松本がレベルアップに励んできた大切な場所。小学生の松本を指導したコーチは、松本の練習への向き合い方は突出していたと話す。負けず嫌いで妥協しない性格。サッカーにのめり込んだのも、様々なスポーツをした中でサッカーが一番難しかったからだった。中学生でJクラブのユースチームに入りJリーガーを目指した。後のプロ選手もいるチームで中心選手として活躍したが、けがの影響などでトップチームへの昇格は叶わなかった。それでもプラスに捉え、高校卒業と同時にイングランドに渡りチェルシーの練習生に。海外のチームを転々としながらJリーグ関係者の目に留まることを狙い続けた。チャンスが訪れたのはニューカレドニアのクラブでプレーした2019年。クラブワールドカップに出場し、この大会唯一の日本人選手として注目を集めた。
ひとつの階段を昇ったその矢先、練習中にアクシデントが起きた。目が傷つき、網膜剥離などで手術を受けた。医師からはサッカーを続けるのは不可能と告げられたという。それでも松本はJリーグへの歩みを止めなかった。平衡感覚が狂い歩くとすぐに目が回ってしまう。距離感が掴めずトラップひとつうまくできない。そんな中でも諦める選択肢ははなかったという。苦しむ松本の状況を聞いて協力を申し出たのが小学生時代のサッカースクールの指導者・吉川コーチ。知覚や認知力を鍛えるトレーニングを元にメニューを組み、動くものを目で追う能力を養った。ピッチでは周囲の状況を広く把握することが欠かせないが、右目がほぼ見えず視野が狭い松本は首の使い方で見える範囲を広げる訓練を続けた。けがから2年、不可能と言われた復活劇が始まった。
復帰の第一歩としてコートが小さいフットサルを選択。Fリーグ2部のチームで1シーズン、レギュラーとして9ゴールを上げ人々を驚かせた。そして、プロのサッカー選手として再び海外へと渡った。去年プレーしたのはソロモン諸島のクラブ。オセアニアの強豪クラブが争う国際大会にも出場し持ち前の運動量で活躍した。ことし1月、初のJ3昇格を決めた高知ユナイテッドが、これまでの経験がチームのプラスになると期待し松本にオファー。背番号はその時の年齢と同じ35。サッカーを始めて30年が経っていた。
開幕目前にアクシデントが起きた。足の肉離れで当分プレーすることができなくなった。開幕に向けてチームが連携を深めていく時期の離脱。松本の目ではピッチの外から仲間の特徴を掴むことも難しい。J3が開幕したが、チームと別行動となった松本は1人黙々とトレーニングを続けていた。困難でも信念を貫く理由のひとつは同じような境遇の人たちの存在。一緒にトレーニングをした16歳の沖平大志さんの視力は右目が0.03以下、左目はほぼ見えない。弱視の人たちが行うロービジョンフットサルのチームでプレーしている。サッカークラブで3年前に目の病気を発症し急速に視力が失われていった。そんな中、当時フットサルリーグに所属していた松本の試合を見て衝撃を受け、松本と会ってから前向きになれたという。
松本はレベルアップを目指し挑戦の日々を送った。目をけがする前よりサッカーがうまくなるためにサッカー以外の指導者にも教えを受けた。
松本の肉離れは予想以上に長引き、チーム練習に復帰したのは開幕から3か月が経とうとしていた5月。出遅れは大きな痛手となり、紅白戦でもメンバー外だったが、試合に出ていた選手が負傷し急遽松本に声がかかった。ポジションは得意の右サイド。ブランクのせいかなかなかボールに絡めないがチャンスを信じて前線に駆け上がり、ようやくフリーでボールをもらうとゴールをアシスト。開幕から3か月、松本はまだ公式戦に出場できていないが、チームの中で若い選手の精神的な支えとなっている。チームの練習後に1人で取り組んでいた個人トレーニングには若い選手が何人も参加するようになった。紅白戦から2日後、松本はシーズン初のベンチ入りを果たした。後半30分、ついに松本は試合に出場、パスをもらい決定機をつくるプレーを見せた。今もまだJリーグへの出場は叶っていないが、松本は何一つ変わらずやり続けている。

他にもこんな番組で紹介されています…

2025年8月6日放送 23:00 - 23:56 TBS
news23sports23
サッカー天皇杯。東洋大学対ヴィッセル神戸。東洋大学は山之内佑成と湯之前匡央が作った1点やキーパー磐井稜真の粘りなどがあったが、あと一歩届かず1対2で敗北。

2025年5月6日放送 0:15 - 0:45 フジテレビ
MONDAY FOOTBALL みんなのJ(MONDAY FOOTBALL みんなのJ)
AFCチャンピオンズリーグエリート。史上初のアジア制覇がかかる川崎フロンターレが決勝進出。その前日、長谷部監督&脇坂主将が会見。「このチャンスはめったにない」「優勝が絶対に必要」など話した。決勝戦は川崎市でもライブビューイング。6万人の観客が集まった決勝の舞台は対戦相手アルアハリサウジのホームスタジアム。2-0、川崎が敗北。

2025年3月23日放送 0:45 - 1:15 テレビ東京
FOOT × BRAIN南野拓実×モナコSP(2)
ASモナコのホームスタジアムはルイ2世スタジアム。収容人数は人口の約半数の1万8000余り。スタジアムは外から見ると周囲のビルに溶け込んでいる。そうそうたるメンバーがこのスタジアムで戦ってきた。ロッカールームはスタジアム同様コンパクトな作り。ルイ2世スタジアムはモナコにある唯一のスタジアムにして総合運動施設。ピッチはビル3階の高さにありヨーロッパのスタジアム[…続きを読む]

2025年2月27日放送 11:55 - 13:55 日本テレビ
ヒルナンデス!木村昴のスバラシグルメ
大正8年創業の肉鮮問屋佐々木は、特選部位を破格の値段で食べられランチ時にはお店の外まで行列が続く。多い日は1日50食以上出るという1番人気のすきやき定食のこだわりのお肉は、ブラックアンガスの最高級グレードの肩ロース。市川團十郎は、しっかり系の肉で脂はくどくなくさっぱりなどとコメントした。すき焼きで使用しないしいたけの軸部分でだしをとった豚汁もセット。牛タンの[…続きを読む]

2025年2月14日放送 1:50 - 2:36 NHK総合
Jリーグタイム(開幕直前スペシャル)
柏レイソルは徳島ヴォルティスでJ2優勝、レッズで天皇杯を制したリカルド・ロドリゲス監督を迎えた。渡井理己選手、小泉佳穂選手といった監督のサッカーをよく知る選手も加わった。

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