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「太平洋戦争」 のテレビ露出情報

蔵出しセレクション。毎週金曜日は今こそ見たいこの1本。今回は「時をかけるテレビ こうしてして僕らは医師になる~沖縄県立中部病院 研修日記」を紹介。沖縄県立中部病院 を舞台に若き研修医たちを追った番組。
池上彰さんと番組を見るのは沖縄出身の満島真之介さん。珊瑚の島という意味の町沖縄県うるま市は人口11万。沖縄本島の真ん中近くにある。ここに全国でも有数の厳しい医師研修で有名な病院「沖縄県立中部病院」がある。今年4月、このERから2年間に渡る医師研修が開始。中野和俊医師、関西出身だが生真面目。2年目の研修医泉絢子先輩。4、5月は先輩が付き添って、1から10まで指導してくれる。ずっとめまいが酷いという患者が。この中部病院が全国屈指の研修病院となった理由。それは沖縄の歴史と深く関わっている。太平洋戦争で戦場となった沖縄。戦後の医師不足は深刻だった。施設や人材が乏しい中で1人で何でも見られる医師が必要だった。そこでアメリカ統治の時代に公立病院で医師の研修を行うことになった。それは当時の日本では考えられない徹底した現場主義の研修だった。その特徴は屋根瓦方式と呼ばれている。医療現場で1年めの医師を2年目が教え、2年目をさらに上の先生が順々に教えていく。研修医が見立てた病名と診療の方針は必ずベテラン医師のチェックを受ける。これはミスのない医療をするのに欠かせない。もう一つ大事なことがある、それはもちろん患者の理解。研修病院の意義を分かってくれているからこそ研修医が最前線に立つことができる。
6月、研修は新しい段階へ。これまで必ず脇にいてくれた先輩がいなくなりひとり立ちをする。新垣医師は1年目の女性医師の1人。ある夫婦。夫の体調が朝から少しおかしいという。頭痛と嘔吐は何のサインなのか。CT検査の必要はあるのかないのか。同期の錦見医師に意見を求めた。そこでCT検査を行うことに決めた。CTの画像を確認すると頭の中に血の塊が見えた。放っておいたら破裂する可能性がある。すぐに救急の指導医豊里医師に相談。男性はこのまま脳外科に移され緊急手術が行われた。1枚のCT画像から命の危険が未然に防がれた。
「時をかけるテレビ こうしてして僕らは医師になる~沖縄県立中部病院 研修日記」について眞下貴さんは「こちらの病院では研修医の見立てた病名とか、診療方針については必ずベテラン医師のチェックを受けることになっている。そうすることによって研修医の育成。ミスのない医療の両立を図っている。研修の特色はまだある。1年目は救急外来から開始、それから内科、産婦人科など6つの科を順番に数か月ずつ回って実際に行う。そうすることで1人で様々な患者に対応できる総合医の育成を目指しているという。ただ医療現場なので思い現実と向き合うことになる」などコメント。
研修が始まって3か月。ERの仕事はいつも人の死と隣合わせ。救急車で運ばれてきた78歳の男性。急性心筋梗塞。研修医2人が交代で心臓マッサージ。横山医師の姿もあった。横山医師は「人の死に対して慣れたくはないと、いまは強く思っている」などコメント。番組では死ととなり合わせの現場で悩み経験を積んで成長する研修医たちを見つめる。その姿は今夜の10時半からの放送で。この番組で取材した横山医師はいま国立がん研究センター中央病院にいるという。

他にもこんな番組で紹介されています…

2024年10月3日放送 23:50 - 0:35 NHK総合
映像の世紀バタフライエフェクト(オープニング)
今回は太平洋戦争の日米プロパガンダ戦を特集。

2024年10月3日放送 20:45 - 21:00 NHK総合
首都圏ニュース845(ニュース)
太平洋戦争中に空襲の被害を受けながらも焼失を免れ戦争の傷痕を今に伝える樹木。研究者からは戦災樹木と呼ばれている。戦災樹木の保存につなげようと日本と米国の研究者がきょう都内で樹木の調査を行った。戦災樹木の研究を続けている明治大学・菅野博貢准教授と米国の歴史学者・デイビッドフェドマンさんの研究チームはその存在を広く知ってもらい保存の必要性を訴えようと詳しい調査を[…続きを読む]

2024年9月28日放送 3:25 - 4:20 フジテレビ
FNSドキュメンタリー大賞FNSドキュメンタリー大賞
長野県諏訪市に住む報道写真家の石川文洋さんはカメラマン人生の集大成となる写真集を出すためにベトナム戦争の写真に整理をしていた。ベトナム戦争は1964年頃から南ベトナムと北ベトナムの間でおこなわれた戦争。アメリカが軍事介入し南ベトナムを支援し住民含む300万人以上が犠牲になったとされる。銃弾が飛び交う戦場せアメリカ軍の攻撃や北と南にわかれて戦うベトナム人同士、[…続きを読む]

2024年9月26日放送 4:15 - 5:00 NHK総合
国際報道(ニュース)
パラオのペリリュー島は太平洋戦争の激戦地として知られる。当時日本の統治下にあったペリリュー島に米国軍が上陸したのは1944年9月。2カ月余におよんだ戦闘で日本兵1万人余の殆ど、米国兵1500人超が死亡。補給もない中、玉砕も自決もゆるされない徹底的な持久戦。日本兵は本土決戦のための時間稼ぎを課されていた。今月15日ペリリュー島で行われた戦没者を悼む式典、日本と[…続きを読む]

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