群馬県邑楽町でのちに町長を務めた男性が、太平洋戦争の末期の空襲の様子や戦後の復興に向かう思いなどを3年間つづった日記が見つかった。日記は終戦前から今の群馬県邑楽町に住み、後に町長を務めた相場定利さんが自宅に保管していたもので、息子の一夫さんが見つけた。昭和20年1月から昭和22年12月までの3年間ほぼ毎日つづられている。昭和20年2月10日、太田市を中心に160人余りが犠牲になったアメリカ軍の空襲について、終戦の日、ラジオで玉音放送を聞いた時の心境の日記の紹介。
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