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「奈良文化財研究所」 のテレビ露出情報

「親魏倭王」の称号を得た卑弥呼だが、狗奴国との戦争を終わらせることはできなかった。邪馬台国と狗奴国の戦いの行方は未だに明らかになっていないが、その結果を解明する手掛かりとなるのが邪馬台国のシンボルとされている前方後円墳の分布だ。AIを活用した最新の古墳探査を実施した結果、それまで狗奴国のシンボルである前方後方墳が多いとされてきた東海・東北地方で複数の前方後円墳が発見された。こうした前方後円墳は卑弥呼の時代が終わって以降に東海・東北地方に広がっており、この事実からは前方後円墳をシンボルとする勢力が東日本へと版図を拡大していったことが伺える。
4世紀を機に逆転していった両者の関係を解き明かす手掛かりとなるのが箸墓古墳に秘められている。堅牢かつ巨大な箸墓古墳はそれまでの日本にはみられなかった最新鋭の土木技術で構築されたものと考えられており、その技術をもたらしたのは大陸からの渡来人であったと考えられている。彼らがもたらした複数の土と粘土を積み重ねる「盛土」は雨や衝撃に対して非常に高い耐性を持っており、この優れた土木技術は気候変動の激しい当時ににあって大きなアドバンテージになったであろうことは予想に難くない。こうして倭国の勢力図が書き換わっていく中、卑弥呼は3世紀半ばに没する。彼女の没後、代わって台頭してきたのが「ヤマト王権」という勢力。このヤマト王権の有力者は大仙陵古墳に代表される前方後円墳に葬られているが、これは卑弥呼の墓であり邪馬台国のシンボルとされるものと同じだ。そこから浮上している仮説の一つには「卑弥呼はヤマト王権の最初の王であった」というものもあるが、いずれにせよ真相は古代の闇の中に眠っている。

他にもこんな番組で紹介されています…

2024年9月5日放送 5:00 - 6:00 NHK総合
NHKニュース おはよう日本(ニュース)
奈良文化財研究所によると、2001年に藤原京の跡から出土した木簡のうち、長さ16センチほど、幅1センチほどの木簡を赤外線を使って調べたところ、3つの「九九」の計算が記されている可能性が高いことがわかったという。中国で見つかった木簡の「九九」の一覧表なども参考にしたうえで、研究所が考えた「5行・8段」の一覧表にあてはめると並び方が一致し、木簡は一覧表の右上の部[…続きを読む]

2024年8月22日放送 13:05 - 13:55 NHK総合
BSスペシャルDigital Eye 新発見続々! 考古学×可視化テクノロジー
奈良県の平城宮から南西約6kmの富雄丸山古墳で2022年、形や大きさが国内初のだ龍文盾形銅鏡と東アジア最長2m35cmの蛇行剣が見つかった。富雄丸山古墳の航空レーザー測量をしたところ北東に造り出しという出っ張りが見つかり、掘り出したところ発見された。富雄丸山古墳は4世紀に築造された。1世紀には福岡県鹿野市まで出土した「漢委奴国王印」金印に関する記述があり、3[…続きを読む]

2024年5月8日放送 22:00 - 22:45 NHK総合
歴史探偵(歴史探偵)
奈良時代、平城京の南側に観世音寺があったが、都を守る防衛拠点としての役割も備えていた。建設に携わったのは長屋王。不自然に出っ張った東側は外京と呼ばれ、藤原不比等の命で作られた。外京は周囲と比べて高地にあり、藤原氏の氏寺でもある興福寺が今もその姿を残す。また、天皇の住まいだった平城宮にも東側に謎の区画があり、皇太子の住まいが設けられていた。その住まいは不比等の[…続きを読む]

2024年3月20日放送 23:55 - 0:45 NHK総合
NHKスペシャル古代史ミステリー 第1集 邪馬台国の謎に迫る
「親魏倭王」の称号を得た卑弥呼だが、狗奴国との戦争を終わらせることはできなかった。邪馬台国と狗奴国の戦いの行方は未だに明らかになっていないが、その結果を解明する手掛かりとなるのが邪馬台国のシンボルとされている前方後円墳の分布だ。AIを活用した最新の古墳探査を実施した結果、それまで狗奴国のシンボルである前方後方墳が多いとされてきた東海・東北地方で複数の前方後円[…続きを読む]

2024年3月19日放送 21:54 - 23:10 テレビ朝日
報道ステーション(ニュース)
平城京跡で新たな木簡が発掘された。新たな木簡は1000点に及び鮎を示す文字や炭といった文字が確認でき元号も記されていた。元号は724年~749年。馬場基室長は「大事な材料になる可能性がある」などと話した。

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