始皇帝の墓は10キロ四方と広大で、兵馬俑はほんの一部にすぎない。刑罰を象徴する斧と見つかった兵士の像は法律に関わった役人がモデルと考えられる。上半身裸の像は青銅の器とともに見つかった。当時、秦では器を持ち上げる力比べが流行していた。鶴間和幸名誉教授は「外国との交流があり、使者を歓待する際に活躍した芸能集団と考えられる」と話す。始皇帝は身分や国籍にとらわれず、優秀な人材を登用し、強国を実現した。22年、ヨガをしている姿の像が出土した。西方と交流していたと伺わせる史料だという。
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