アイリスオーヤマの本拠地の仙台市。大山は街の新名所の自らが提案した1万5000個のLEDを使用したストリートを作った。幻想的な空間が150mにわたって広がっている。東北の復興に尽力してきた大山だったがその半生には大きな試練が幾度にもあったという。アイリスの前身は1958年に大山の父親が大阪で起こした町工場。下請けでプラスチック成形を手がけていたが、その父親が急死し19歳の若狭で代表に就任した。理不尽な値下げの強要などもあり大山は下請けの脱却を目指した。そこで作ったのは農家のための道具。当時、田植えに使う苗の箱は重い木製だったが、軽いプラスチックで作り売り出した。これが大当たり。順調に成功したのもつかの間、1973年にはオイルショックが発生。苗の箱は値崩れし資金は枯渇。会社は経営危機に。大山は大阪の工場を畳んで拠点を宮城県へ。一からの出直しだったが新たに開発したのはクリア収納ケース。透明なタイプを作り、中に何をいれたかわかるように。これが大ヒットしアイリスは生活用品メーカーへ。そんな大山でもギリギリまで追い詰められたのが東日本大震災。たまたま千葉県にいた大山。2日後なんとか戻ったが本社や工場は大変なことになっていた。
