公開された外交文書は6500ページにわたるもので政府は1992年の日中国交正常化20周年にあわせて天皇陛下の中国訪問を検討していた。しかし自民党内などで、訪中時に中国が天皇陛下の謝罪に期待を示す向きがあったことなどから天皇を政治に巻き込むべきではないと慎重意見が広がっていた。こうしたなか宮澤喜一総理大臣は外務省幹部に党内や国民に亀裂が生じるようなかたちで実施したくないと伝え、その後「腹を決めないのはだらしがないという人がいるが、本件はそういう性格の問題ではない。」との考えを示していた。宮澤内閣はその後調整を加速し10月に訪中は実現した。