タモリらは北九州市誕生の秘密を探った。タモリは谷の中で川の跡を発見。山の方から北へ向かって流れている。実はこの川が北九州市誕生の秘密を知るカギ。明治時代の地図を見てみると、川の上に、傾斜が緩く、他の道と比べて広めの道路が通っていた。明治44年、この道路で路面電車が開通。路面電車は若松を除く4つの市をすべて結んでいた。大正時代、工場の動力は蒸気機関から電力へと変わる。そこで多くの工場が路面電車の電力を求めて筑前・豊前を超えて路線に沿うように次々と造られるようになった。この様子から大正時代にはこの一帯が北九州と呼ばれるようになった。