鳳明館は修学旅行生のおなじみの宿となり、大きな共同の洗面所はその頃に活躍した名残。当時は400名ほどの生徒を収容していたという。そのため二つの別館を作るほどだった。本郷にある大正11年創業の魚よしの3代目の長谷川さんは本郷について旅館に商品を収めていたという。ピーク時にはかつて120軒の旅館が軒を連ねていたが、その旅館を支えていたのは魚屋や和菓子屋などの近所の商店だった。現在はほとんどの旅館が廃業し最後の砦は鳳明館に。しかし、130年の歴史の中で最大の危機がコロナ禍の時代。女将は一時期は廃業と売却を決断したという。
