今年4月、ロサンゼルスをカメラは訪ねた。金メダリストの堀米雄斗を今を知りたい。夢を叶えたい、でも今は夢を叶える途中。移り住んで8年、行きつけの治療院も。英語での生活にはもう困らない。スケボーの世界的レジェンド、ナイジャヒューストンは堀米選手の金メダルを心から祝福してくれた一人。初めて競技に採用された東京五輪で初代金メダリストになったのが堀米雄斗だった。会場は生まれ育った江東区にあった。17歳の時、東京五輪の追加競技に決定。18歳、高校を出ると単身でロサンゼルスへ。東京オリンピックで決めた高難度のオリジナル技は20年前のビデオを見て復刻。しかしパリへの道は壁の連続。低迷が続き、がけっぷちに。大きかったのはルール変更だった。苦手にしてきた45秒間のランが得点に加えられることになった。さらに若い世代も選手も堀米選手を上回るようになった。気の許せる仲間にはプレッシャーがヤバいと弱みを見せ、滑りまくって自信をつけていきたいと述べた。
先週迎えた、ハンガリーブダペスト・パリ五輪予選最終戦、今5番手、パリへの切符は優勝が条件。作り上げた自分の世界、まずは鬼門のラン。ほぼ完ぺきな滑り、2位に付ける。優勝・堀米雄斗、負ければ終わる土壇場から大逆転でパリ五輪代表に。夢を叶えるのに大切なことを尋ねると、起きていること全てに感謝して自分を信じることと答えた。
先週迎えた、ハンガリーブダペスト・パリ五輪予選最終戦、今5番手、パリへの切符は優勝が条件。作り上げた自分の世界、まずは鬼門のラン。ほぼ完ぺきな滑り、2位に付ける。優勝・堀米雄斗、負ければ終わる土壇場から大逆転でパリ五輪代表に。夢を叶えるのに大切なことを尋ねると、起きていること全てに感謝して自分を信じることと答えた。