2020年11月、取材班は山岳ガイドらと山に入った。そこには見たことのない巨木が立っていた。木の上部は折れ、命はすでに尽きていた。しかし幹に着生した植物たちが巨木を大地として葉を広げていた。山岳ガイドが幹の周りをテープで測ると、16m。その巨大さに山師はこの木を残すことにしたという。なぜ山師は切らなかったのか。高度経済成長期、住宅用の木材需要が高まると、国の方針で屋久島の森は大伐採が進んだ。樹齢1000年を超える屋久杉も伐採の対象となり、大量の屋久杉が切られた。山師の本田實さんは数多くの屋久杉と向き合ってきた。本田實さんは一昨年亡くなったが、生前屋久杉について「縄文杉より大きい木が何本もまだ残っている」などと話していた。實さんが言う屋久杉の写真が残されていた。私達は20年近く、實さんらやましの姿を取材してきた。屋久杉は標高500mを超える深い山の中に立っている。伐採から50年余りがたち、森は再生が進んでいる。しかしかつてここは国内最大の木材供給地と言われ、500人余が暮らす集落が存在した。その時、1960年代の映像では橋をわたると住宅が立ち並び理容室や商店があった。集落の中を屋久杉を積んだトロッコが走り、屋久杉は人々の暮らしを支えていた。だが伐採は急速に進み斬る気がなくなると山師たちは仕事を失い、1970年集落は閉鎖された。1980年代に入ると屋久杉の伐採が中止された。山師は時代の移り変わりに翻弄されてきた。山師は今は切り株や倒木を切り出し、それらは工芸品に使われている。
今は4人しかいない山師。かつての山師の姿を次の世代に伝えたいと考えていた實さんの意思を、本田竜二さんは引き継いだ。今は切り株やすでに倒れた屋久杉を切り出している。大木となればチェーンソーでも中々きれず使い方にも技がいる。切り方を間違えると木の重みでチェーンソーが挟まれ抜けなくなる。屋久杉は実の中心が腐り、空洞になっていることがある。空洞に刃が入ると音の響きが変わるという。この日は一番弟子の山師、松元文明さんと森に入った。上ること1時間。カメラが初めてその木を記録した。林野庁のリストでは3番目に相当する巨木だった。
屋久島の山に降る雨の量は、年間約1万mm。日本の平均の6倍の雨。細く長い屋久島の登山道の外には雨によって育まれた植物が生きる世界が広がっている。森の奥に入ると木々が行く手を阻む。また巨木が表れた。竜二さんによると樹齢2000年を優に超えるという。屋久島で2番目の巨木に匹敵する大きさ。多くの屋久杉をみてきた本田實さんは「普通の大きい木 一本立ちの木は何も感じないけど2本同じところに立って上の方で絡み合っている木がある そんな木だけは(切るのは)は嫌だった」「神が宿る木という言い伝えがある」と語っていた。山師の間でこの話は密かに語り継がれてきた。竜二さんと共に再び森に入った。
今は4人しかいない山師。かつての山師の姿を次の世代に伝えたいと考えていた實さんの意思を、本田竜二さんは引き継いだ。今は切り株やすでに倒れた屋久杉を切り出している。大木となればチェーンソーでも中々きれず使い方にも技がいる。切り方を間違えると木の重みでチェーンソーが挟まれ抜けなくなる。屋久杉は実の中心が腐り、空洞になっていることがある。空洞に刃が入ると音の響きが変わるという。この日は一番弟子の山師、松元文明さんと森に入った。上ること1時間。カメラが初めてその木を記録した。林野庁のリストでは3番目に相当する巨木だった。
屋久島の山に降る雨の量は、年間約1万mm。日本の平均の6倍の雨。細く長い屋久島の登山道の外には雨によって育まれた植物が生きる世界が広がっている。森の奥に入ると木々が行く手を阻む。また巨木が表れた。竜二さんによると樹齢2000年を優に超えるという。屋久島で2番目の巨木に匹敵する大きさ。多くの屋久杉をみてきた本田實さんは「普通の大きい木 一本立ちの木は何も感じないけど2本同じところに立って上の方で絡み合っている木がある そんな木だけは(切るのは)は嫌だった」「神が宿る木という言い伝えがある」と語っていた。山師の間でこの話は密かに語り継がれてきた。竜二さんと共に再び森に入った。