現在、香川県高松市に住む西尾頼正さん(91)は戦時中両親と兄弟の6人家族で神戸で暮らしていた。終戦の2か月前に親戚を頼り広島市へ移住。8月6日の朝、母親が作ってくれた弁当を持って登校し校庭の片隅で飼育していたブタの世話をしようとした時、原子爆弾が落ちてきたという。土塀の陰にいた西尾さんは爆風を浴びたものの奇跡的に無傷だった。しかし、爆心地から1キロの場所にあった自宅は跡形もなく消失。被爆から6日後、救護施設で家族と再会したが、母は死んでいた。瓦礫に埋もれ火の手が迫る中助け出せなかったと聞かされたという。かろうじて生き延びた父や兄弟も原爆症などで次々と他界。わずか3歳の妹や全身に火傷を負った11歳の弟、父親を自分自身の手で火葬した。生き残った西尾さんともう一人の妹は高松市に住む母方の祖母に引き取られた。その後結婚し自分の家庭を持つようになった西尾さんだったが、被爆地の広島には二度と足を踏み入れることができなくなっていた。西尾さんは「今でも心の奥では13歳のまま。忘れられない」と涙を流した。