2000年3月2日、父から釣りに誘われた大山は、車の助手席を倒して横になっている母の姿を見て眠っているだけだと思っていた。広島港で釣りをしていると大山は父から今海面に何か落ちる音はしなかったかと聞かれ、眠っていたはずの母の姿がないことに気づき血の気が引いたなどと当時を振り返った。その後、大山の母の遺体は海から発見された。当時の広島県警による会見の様子をVTRで紹介した。大山の父は夜釣りに出かける30分前に妻を自宅の浴槽に沈めて殺害し、釣りをする大山の目を盗んで遺体を遺棄し、転落事故に見せかけ保険金約300万円を詐取した。父が逮捕されてから生活が一変した大山は、当時中学生にして人殺しの息子と呼ばれ、親戚の家に引き取られるも非行に走り、遂には自殺も図ってしまっていたが、大山は死ぬことができなかったのだと明かした。大山の父は妻殺害の約1年前にも自身の養父を殺害しており、鉄アレイで殴った後に交通事故に見せかけ保険金約7000万円を詐取していた。
2005年4月28日、事件から5年が経ち、大山の父は一審で死刑の判決を受けた。2011年6月7日、上告棄却をされ大山の父は最高裁で死刑判決が確定した。2013年、大山は故郷を離れ新しい地で生活を始めていた。大山はポストを覗く生活が日課となっており、父から届いたという数々の手紙を紹介した。大山が父とやりとりをするようになったきっかけは、一審判決後に初めて拘置所を大山が訪れたことにあり、大山は両親の愛し合っていた姿を12年間見ており、それが嘘だったとは思えず、殺した理由を本人から聞きたかったのだなどと明かした。父と対面した大山は、父の変わりきった姿に何も言えなかったのだと打ち明けた。大山は二審で弁護側の証人として出廷し、父の死刑回避を訴えていたが、広島高裁の判決は動機が極めて自己中心的だとして死刑はやむをえないと説明した。この日、拘置所の父から宅配便で母の遺品が大山のもとに届き、事件当日を振り返った大山は母を助けられなかったのだなどと涙して告げた。大山は父との面会の後には必ず母の墓参りをしている。この日、事件現場となった港に立ち寄った大山は、父の死刑の日が訪れれば辛いだろうが受け入れて前に進んでいこうと考えているのだと明かした。
2005年4月28日、事件から5年が経ち、大山の父は一審で死刑の判決を受けた。2011年6月7日、上告棄却をされ大山の父は最高裁で死刑判決が確定した。2013年、大山は故郷を離れ新しい地で生活を始めていた。大山はポストを覗く生活が日課となっており、父から届いたという数々の手紙を紹介した。大山が父とやりとりをするようになったきっかけは、一審判決後に初めて拘置所を大山が訪れたことにあり、大山は両親の愛し合っていた姿を12年間見ており、それが嘘だったとは思えず、殺した理由を本人から聞きたかったのだなどと明かした。父と対面した大山は、父の変わりきった姿に何も言えなかったのだと打ち明けた。大山は二審で弁護側の証人として出廷し、父の死刑回避を訴えていたが、広島高裁の判決は動機が極めて自己中心的だとして死刑はやむをえないと説明した。この日、拘置所の父から宅配便で母の遺品が大山のもとに届き、事件当日を振り返った大山は母を助けられなかったのだなどと涙して告げた。大山は父との面会の後には必ず母の墓参りをしている。この日、事件現場となった港に立ち寄った大山は、父の死刑の日が訪れれば辛いだろうが受け入れて前に進んでいこうと考えているのだと明かした。