新田開発の歴史を授業。教えてくれるのは耕作放棄地を復活させ、3年で売り上げを10倍にした八王子の農家・飯田さん。飯田さんは多摩川から水を引いている。こじ新田の水は利根川から。利根川の流域には約28万haの田んぼ(全国の約1割・東京ドーム約5万9千個分)がある。利根川は東京湾に流れ込んでいたが、江戸の街を水害から守るため、徳川家康が東遷事業を行い、銚子方向へ流れを変え、田んぼが増えたという。戦国期~江戸期に新田開発が盛んに。目的は年貢米だった。土木技術が大活躍し、小さな溜池を水路で繋ぐことで水源に。1500年代に約150万haだった耕地面積は100年後には約300haに倍増した。千葉で生まれた井戸掘りの方法(上総掘り)は全国に広まった。飯田さんも井戸を掘っているという。