2014年に創業した「READYFOR」。26歳の若さで経営者となった米良さんだが、当初はサービスの普及に情熱を注ぐ一方で、社長として組織づくりをすることには全く興味がなかったそうで「クラウドファンディングを通じて1人でも多くの人に資金調達をしてもらい、やりたいことを実現してほしい、そういう思いを持っていたからこのプラットフォームを大きくしたいと思った。事業の拡大とともにメンバーが増えていく。30人くらいになったときに1人1人のメンバーのことがわからなくなってくる。そうすると、私は組織・企業にいたことがなかったので会社における人事制度や評価制度を経験したことがないので、中途採用とかでメンバーが入ってくると『この会社は人事制度も評価制度も整ってなくて、頑張っても評価されない』という話が出てきた。『社長としてちゃんとやってください』と言われた。そもそも私は社長になりたかったわけではなく、事業を大きくして1人でも多くの人の”挑戦”を実現したいという思いでやっていた。組織をうまく作れないと思っている中で、雑談のような会話がどんどんなくなり相手のことが分からなくなった。そんな時にさらに厄介なことに、29歳のときに悪性リンパ腫を患い、当時はガンの知識がまったくなかったので”ガン=死”のような感じで『死ぬんだな』って思って、するといままで自分が事業・サービスを通じて皆さんに夢を実現してほしいって思っていた気持ちが全部『死ぬんだ』っていう絶望の気持ちに持っていかれた。会社をどうしようか考えたが、治療期間も分からないし自分が元気になるかも分からない。そんな人間がリーダーとして先頭を走るのはみんなに申し訳ないと思い、当時一緒に経営していた仲間に『今の状況で続けることは難しいのかもしれない』と伝え、会社を任せて治療に専念した」などと話した。
抗がん剤治療を始めると、最初の投薬で効果が出た。米良さんはガンを根治するために抗がん剤治療を続けることにした。そこでその期間中に学び直すことを決めた。抗がん剤は3週間に1回打つが、そのサイクルで歴史・哲学・経済学などいろんな勉強をしようと考えたそうで「本をとにかく読んで、本にまつわる映画やテレビを見て知識を入れ込もうとした。その結果、経営の指針になるものを手に入れた。アダム・スミスの『道徳感情論』や、渋沢栄一の『論語と算盤』など100冊ほどを読み、その中で経済性と社会性をどのように両立していくのかに苦しんでいた。私の根源には売り上げや利益のためにビジネスをやりたいのではなく、ビジネスを通して社会を良くしたいというものがあり、これが自分が社長に向かないのではないかと思っていたポイントだったということに気づいた。結果的には歴史上の様々なリーダーも、どんな社会を作りたい、そのために何をやるのかというのが両立している人がリーダーだと腑に落ちた。病気が治ったら社会的な使命に基づいて事業やビジネスを通して社会を良くしていきたい、覚悟を持って挑みたいと思った」などと話した。
米良さんは目指すもののためには組織を作る必要があることにも気づき、「この思いを共にしてくれる仲間が楽しく人生をかけて一緒に歩んでくれるような環境としての会社をつくらなければならないなと思って、苦手だった組織づくりや人事制度・評価制度なども含め、みんなが安心してチャレンジできるという環境の会社をつくらないといけないと覚悟を決めた。そこからマインドが変わり、経営者として成長していきたいと思った」などと話した。ここで人材紹介会社に勤め、若くして新規事業のチームを任されている山岸さんから「企業文化の形成は難しいものだと認識している。企業文化を作るためにどうしているか」と質問があり、米良さんは「最近一番意識しているのは『まず私から始める』ということ。組織の緩みやチャレンジ文化を失っていたら、自分を含めた経営陣が一番最初に徹底してやる。それが徹底されたら変わっていくことが結構ある。それで自分も変わろう、自分のチームも変えようと広まっていく。人事制度も重要だと思うが、ルールで縛ると思考が停止するので、行動で示すのも大事だと思っているので、最近は何をするにも自分からするようにしていて、今後も続けたいと思っている」などと話した。
抗がん剤治療を始めると、最初の投薬で効果が出た。米良さんはガンを根治するために抗がん剤治療を続けることにした。そこでその期間中に学び直すことを決めた。抗がん剤は3週間に1回打つが、そのサイクルで歴史・哲学・経済学などいろんな勉強をしようと考えたそうで「本をとにかく読んで、本にまつわる映画やテレビを見て知識を入れ込もうとした。その結果、経営の指針になるものを手に入れた。アダム・スミスの『道徳感情論』や、渋沢栄一の『論語と算盤』など100冊ほどを読み、その中で経済性と社会性をどのように両立していくのかに苦しんでいた。私の根源には売り上げや利益のためにビジネスをやりたいのではなく、ビジネスを通して社会を良くしたいというものがあり、これが自分が社長に向かないのではないかと思っていたポイントだったということに気づいた。結果的には歴史上の様々なリーダーも、どんな社会を作りたい、そのために何をやるのかというのが両立している人がリーダーだと腑に落ちた。病気が治ったら社会的な使命に基づいて事業やビジネスを通して社会を良くしていきたい、覚悟を持って挑みたいと思った」などと話した。
米良さんは目指すもののためには組織を作る必要があることにも気づき、「この思いを共にしてくれる仲間が楽しく人生をかけて一緒に歩んでくれるような環境としての会社をつくらなければならないなと思って、苦手だった組織づくりや人事制度・評価制度なども含め、みんなが安心してチャレンジできるという環境の会社をつくらないといけないと覚悟を決めた。そこからマインドが変わり、経営者として成長していきたいと思った」などと話した。ここで人材紹介会社に勤め、若くして新規事業のチームを任されている山岸さんから「企業文化の形成は難しいものだと認識している。企業文化を作るためにどうしているか」と質問があり、米良さんは「最近一番意識しているのは『まず私から始める』ということ。組織の緩みやチャレンジ文化を失っていたら、自分を含めた経営陣が一番最初に徹底してやる。それが徹底されたら変わっていくことが結構ある。それで自分も変わろう、自分のチームも変えようと広まっていく。人事制度も重要だと思うが、ルールで縛ると思考が停止するので、行動で示すのも大事だと思っているので、最近は何をするにも自分からするようにしていて、今後も続けたいと思っている」などと話した。