禅僧・作庭家の夢窓疎石は位の高い僧侶にして作庭家でもあった。夢窓疎石が住職と勤めた西芳寺は、苔寺とも称される緑に覆われた境内。自然の風景をあらわした、日本最初の枯山水庭園を自ら作り上げた。そのすべてに込められたのは仏の教えで、曹源池庭園にはお釈迦様と従う菩薩を石組みで表したとされる釈迦三尊石は極楽浄土の世界を3Dで表したかったとされる。優雅にカーブを描く水際は、貴族の文化荒々しくおかれた石組みは武士の文化を。それはまさに天龍寺そのものの歴史。室町時代を開いた初代将軍の足利尊氏はその当時、後醍醐天皇と派遣をめぐって激しく対立していた。後醍醐天皇天皇崩御のうちに、尊氏が帰依していた夢窓疎石はその御霊を弔うために天龍寺の建立を進言した。
住所: 山梨県甲州市塩山小屋敷2800