当時、三洋電機の開発部で働いていたヤマヤさんは会長から「人間洗濯機を作れ」と命じられた。超音波振動に目をつけ開発をスタート。そして、大阪万博の開催が決定。これにより実用性より映 えを意識した商品にシフトチェンジ。万博で披露されると連日大賑わいとなった。その会場にいたのが当時10歳のアオヤマさんで20回来場したという。この万博後、展示された最先端技術は一般化されていったが、人間洗濯機だけが出てこなかった。
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