昭和45年の大阪万博について吉永さんは「坂本九さんと私が委員に選ばれて何をやればいいかも分からずにOKしてしまったが、実際に会議の時に一言言ってしまったのは広島・長崎の原爆のこともきちっと展示して世界の人に知ってもらいたいということ。ただ全く取り上げられずにがっかりしてどんな国のいろいろ大変なことがあっても引き受けるのはやめようと思った。力が無かったんだと思うが、そういう場所で言うことでは無かったのかもしれない。どんなことでも思いを伝えていくのが万博のひとつのテーマかも知れないと思う。そこで挫折して万博には行かなかった。忙しかったということもあるかもしれないが、行く気持ちにはならなかった。」などと語った。