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「大阪万博」 のテレビ露出情報

昭和45年従業員は3分の1の450人に減っていた。松本は麺がうまく揚がらない原因を突き止めた。それは麺の厚みだった。これまでの袋入ラーメンは厚さ2cm、しかしカップに入れる麺は6cmにもなる。松本は油の種類や温度を変え何度も麺を揚げた。その度に半生でも試食した。その頃大阪では万博が開かれていた。カップ麺に興味がなかった大野一夫は仕事をサボり入り浸っていた。大学で生物化学を学んだ大野は日清が医薬品開発に乗り出すと聞き入社した。面接でラーメンの仕事だけをするつもりはないと言い放った問題児だった。ある日大野は社長の安藤に呼ばれた。ラーメンにいれる具の開発を頼まれ、3分で戻る乾燥食品を探した。大野の負けず嫌いが頭をもたげた。
一方松本は麺を揚げては試食を続けていた。試食は1日20回、それ以外の食べ物はまったく喉を通らなくなった。大野は必死で具の乾燥方法を調べていた。大学でのある研究を思い出した。抗生物質を作るのに使われていた技術、フリーズドライ。物を凍らせ真空状態にして乾かすと水ですぐ戻る。これで具を作ったらどうか。ビーカーと真空装置で手製の乾燥機を作った。1回の乾燥にかかる時間は20時間。まず野菜の人参、ほうれん草、ピーマンを調べた。自信満々でメンバーに見せると、話し合いの末ボツになった。社長の安藤からエビをすすめられ、大野はエビで実験を始めた。その頃麺の松本は行き詰まっていた。金型にぎっしり詰めていた麺の量を1割減らし隙間を作った、油に入れるとやがて浮かび熱が均等に麺に伝わり中まで揚がった。開発が始まって8ヶ月で大野はエビ以外の具、たまご、肉、ねぎを作り上げた。試作品を作りお湯をかけると見事3分で戻った。さっそく売り込みに向かうが相手にしてもらえなかった。

他にもこんな番組で紹介されています…

2026年10月21日放送 2:30 - 3:00 NHK総合
1970’s グラフィティー A to ZPART2 N to Z
中村雅俊「俺たちの旅」に乗せて1970年代の映像が流れた。1970年、日本万国博覧会(大阪万博)に6421万人が入場した。人気を集めたのは月の石。1975年、沖縄国際海洋博覧会が開かれた。沖縄県の本土復帰を記念した事業。1970年、東京の銀座や新宿などで“歩行者天国”が始まる。

2026年10月19日放送 13:00 - 16:26 NHK総合
国会中継参議院予算委員会質疑
所信表明演説で経世済民という言葉を用いた背景について、高市総理は、国民の皆様の生活を経済の力で向上させる意味で用いたと回答した。今の日本の教育制度の課題について、高市総理は、現在の教育制度については、児童の不登校の増加や国家社会の形成者として必要な資質や能力の育成と、質の高い多様な教師の確保といった課題があると回答した。小中学校を含めた学校制度そのものの在り[…続きを読む]

2026年10月17日放送 20:54 - 21:00 日本テレビ
シャカレキ!〜社会歴史研究部〜(シャカレキ!〜社会歴史研究部〜)
1967年10月18日、イギリスの人気ファッションモデル・ツイッギーが初来日。「小枝のような」を意味する芸名通りきゃしゃな体にひざ上30センチのミニスカート姿で現れ日本の若者をとりこに。ミニスカートはその後大阪万博のユニフォームや企業の制服にも採用されていった。

2026年10月15日放送 15:49 - 19:00 TBS
Nスタ気になる!3コマニュース
日本うどん学会理事・小島和男さんによると、うどんの第1次ブームは1970年頃、大阪万博に出店した讃岐うどんが広く知れ渡った。第2次ブームが1988年頃、瀬戸大橋の開通で四国への観光客増加で讃岐うどん巡りが盛んになった。第3・4次ブームは1995年頃・2002年頃、製麺所巡り、セルフ讃岐うどんが全国的に定着した。2010年以降の第5次ブームでは讃岐うどん以外の[…続きを読む]

2026年10月12日放送 19:30 - 20:50 NHK総合
SLタイムマシンSLタイムマシン
SLブーム大騒動を紹介。大阪万博が開かれた1970年、岡山県・新見市西方布原地区ではSL撮影のために山林に入る人から入場料を徴収する業者が出現。鉄道ファンの間で物議となった。SL乗務員もこの事態を何とかしたいと考えていた。SL乗務員はわざと蒸気をたくさん出して写真撮影しづらい形に持っていった。その後、半年ほどして業者が営業を断念したという。

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