ダッチロールの横揺れとフゴイドの上昇降下で123便は不安定な動きを繰り返していた。コックピットではコントロールできていないことはわかっているが操縦桿を握るしか術がない。客席では揺れの中で家族宛にメッセージを残す乗客もいた。衝撃音から7分の午後6時31分、機体は駿河湾を越えたところから旋回して北へ向かっていたが、おそらくパイロットがコントロールしたわけではない。ダッチロールは激しさを増し、傾きは最大40度に。機体はフゴイド運動によって高度約7000m付近から降下できずにいた。そこは酸素が薄く、客室の酸素マスクの酸素量にも限界が来ていた。コックピットの乗務員は酸素マスクをつけていなかったと考えられていて、低酸素症の症状で判断力や操作能力が低下していたと推定されている。理由は明確にはわからないが、原因追及と姿勢安定のため操作に専念していたからではないかと考えられた。コックピットでは高度を下げるために車輪を下ろした。すると、フゴイドとダッチロールは収まったが降下に神経を使い、管制官からの呼びかけに応じる余裕はなくなっていた。その頃、米軍・横田基地は緊急着陸の受け入れ態勢を整えていた。まっすぐ行けば横田基地だったが機体は左に旋回し遠ざかっていく。コントロールする術はなく、123便は降下しながら機首を御巣鷹方面へと向けた。そこは2000m級の山々がそびえる山岳地帯だった。