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「昭和天皇」 のテレビ露出情報

日光東照宮から歩いて10分にあるのは「日光金谷ホテル」。日本最古の西洋式リゾートホテルだ。多数の偉人や著名人が宿泊してきた。今回は日光金谷ホテルを徹底取材しお宝などが登場。案内してくれるのは総支配人の地神さん。回転ドアから中に入る。100年以上回り続ける回転扉だ。旧仮名遣いの文字が未だに残っている。真鍮製で磨いて大切に使っている。扉を抜けると、明治から続く歴史ある佇まい。吹き抜けに欄干、和の彫刻がある。金谷ホテルは創業150周年。1873年創業、創業者は金谷善一郎がヘボン博士を自宅に泊めたことがホテル業の始まりだ。ここで日光金谷ホテルの5つの秘密を紹介。1つ目は、ロビーのカウンターは通常のカウンターより高い。フロントができた当初は利用客がほぼ外国人だったためだ。増築のとき下を掘って作ったという。1階は大量に柱があった。柱をたてて土砂をだしたのだ。昭和初期の写真は2階だてだったが、地下をほり1階を作ったのだ。別館に移動する。昭和10年の建物だ。本館と雰囲気が違う。122号室を案内してもらう。代表する客室だ。日光金谷ホテル別館のスイートルームは、大きな窓が特徴で、日光の壮大な景色を楽しむことができる。値段は1泊73500円から。
日光金谷ホテル別館のスイートルームは、昭和32年・41年に、昭和天皇が宿泊した歴史ある部屋だという。ホテルにはアルベルト・アインシュタインやチャールズ・リンドバーグなど多くの著名人が宿泊し、直筆のサインをまとめた宿帳があるという。また、目が不自由だったとされるヘレン・ケラーの直筆サインもあり、下に定規を当ててサインしたという話がある。現在も著名人が泊まった部屋に宿泊でき、できるだけ昔の趣を残した内装となっている。また、日光金谷ホテルではディナーも楽しみの一つ。モダンなレストランでは明治大正を思わせるクラシックディナーは、20年前に蔵の中から見つかった明治39年のレシピを再現したメニューとなっている。日光金谷ホテルのクラシックディナーで提供される「日光虹鱒のソテー 金谷風」は、明治時代のレシピを再現したソテーで、ホテルが所有する養殖場のニジマスを使っているという。また、ディナーだけでなく、アフタヌーンティーも楽しむことができる。また、日光金谷ホテルでは、ホテルならではの娯楽施設があるという。日光金谷ホテルには、天然のスケートリンクがあるという。元々テニス場だった場所で、現在は冬の娯楽施設として利用されている。日光金谷ホテルの「バスタブの水を温める器具」を特別公開。昔は電気で器具を温めてからお湯に入れていたという。日光金谷ホテルは、150周年にちなみ、ホームページ上で150の宝物を紹介している。

他にもこんな番組で紹介されています…

2025年8月25日放送 22:00 - 22:45 NHK総合
映像の世紀バタフライエフェクト(オープニング)
今回は戦時下の日本の宰相たちを特集する。

2025年8月24日放送 5:45 - 6:00 フジテレビ
皇室ご一家(皇室ご一家)
8月15日、天皇皇后両陛下は全国戦没者追悼式に臨まれた。80年前の正午、昭和天皇の玉音放送で戦争の終結が告げられた。政府主催の戦没者追悼式が初めて行われたのは昭和27年5月2日、日本が主権を回復して4日後のことだった。戦後70年の式典で、上皇さまは初めて「深い反省」という言葉を使い、犠牲者を悼まれた。戦後80年にあたり、両陛下は各地で慰霊を続けられていて、沖[…続きを読む]

2025年8月24日放送 5:45 - 6:15 日本テレビ
皇室日記(皇室日記 拡大版)
太平洋戦争では日本人だけでも310万人が犠牲となった。上皇ご夫妻は戦火の及んだ国へ足を運ばれ、親善に努めてこられた。戦後生まれの天皇皇后両陛下には戦争の記憶を次世代に継承させたいという思いが込められている。沖縄では遺族の慨嘆に両陛下、愛子さまで向き合われた。

2025年8月21日放送 23:06 - 23:55 テレビ東京
カンブリア宮殿カンブリア宮殿 一度は行きたい!リゾートホテル仕掛け人
奈良の新たな魅力に驚きの施設が誕生した。歴史的風情のある建物は知事公舎だった場所があり、1951年に昭和天皇がサンフランシスコ平和条約と日米安全保障条約の批准書に署名した場所だという。しかしそんな県知事公舎お入口にラグジュアリーコレクションという真新しい看板が。ラグコレクションはマリオネットの最高級ホテルブランド。世界40の国と地域に展開しオンリーワンの景観[…続きを読む]

2025年8月21日放送 16:05 - 17:00 NHK総合
午後LIVE ニュースーンNEWS日替わりプレート
今月15日で終戦80年を迎えた日本。終戦当時の内閣総理大臣が鈴木貫太郎。1945年4月、77歳で総理大臣に就任。在任期間は130日あまりでありながら日本を終戦に導いた。都内に暮らす孫娘の鈴木道子さん。道子さんが4歳の時に二・二六事件という軍事クーデターが起こる。当時鈴木貫太郎も軍人に襲われた。鈴木は重傷を負いながらも一命をとりとめた。事件後は侍従長を退任し、[…続きを読む]

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