- 出演者
- 藤森慎吾 小泉孝太郎 黒柳徹子 高嶋ちさ子
オープニング。
今回リポートするのは森泉さん。世界的ファッションデザイナー・森英恵さんを祖母に持つプラチナファミリー。そんな泉さんがリポーターとなり”ある方”の豪邸を紹介する。茨城県に建つ200坪・9LDKの大豪邸に住んでいるプラチナな方は誰なのか。庭に立ち寄ってから豪邸の中へ。玄関には番犬ではなく番トラ。扉を開けると和風の引き出しがあった。リビングは茶色で統一した30畳。家具はアンティーク調で統一されている。アンティークのデスクは小学生の時におねだりをして買ってもらったものだそう。その横にはヴァイオリンが置いてあるが、ちさ子さんは「けど初心者だね」と言った。家主は2歳からヴァイオリンをはじめ、3歳になるとピアノや童謡など音楽の英才教育を受けていたという。次の部屋は家主さんの部屋。可愛らしい花がらのクッションなどが置かれている。そんな中にも力強さもあるそうで、枕の下には木刀が置かれていた。これは防犯用だそう。家主は2021年に茨城県取手市のPR大使に就任。現在もその活動を続けている。家主はゲーム好きでゲームPCが置かれている。続いてダイニング&キッチンへ。冷蔵庫の中からはヒントが続々と飛び出す。家主は北海道出身で、冷蔵庫には毬藻やジンギスカン・ヨモギなどが入っている。ヨモギに含まれる「1,8-シネオール」という成分には殺菌効果・抗炎症作用があると言われており、家主は乾燥したヨモギを煎じて飲んで喉の調子を整えているという。続いて2階へ。ボクシングにハマっていたことがあり、人型のサンドバッグがある。ちなみにハマったきっかけは映画「ロッキー」をみたため。2階にはセカンドキッチン、セカンドリビングがある。次はバルコニーへ。このバルコニーは森泉さんの思い出の場所だそうで、番組の企画で1週間かけて家主とともに当時何もなかったバルコニーを大変身させた。家主さんは動物大好きで8匹の犬を飼っている。次の部屋は着物部屋。全部で500着あるそうで、これは仕事での衣装だそう。家主は11歳で紅白歌合戦にもゲスト出演した天才歌手。こんな豪邸を建てた家主だが、実はまだ20代。
11歳で紅白出場。北海道出身の天才歌手で着物が500着ある。家主は20代だが茨城県に200坪の9LDKに住んでいる。プラチナさんはさくらまやちゃん。2008年10歳で大漁まつりでデビュー。2009年は日本レコード大賞新人賞を最年少で受賞した。その年NHK紅白にゲスト出演した天才歌手。今は27歳。20歳で35年ローンで買った家だという。着物部屋は365日着物をきても大丈夫なほど着物が置かれていた。
1975年、「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」が大ヒット。当時ロックバンドとしては珍しかった紅白出場を果たしたダウン・タウン・ブギウギ・バンドのボーカル、宇崎竜童さん。そして宇崎さんの奥様で作詞家の阿木燿子さんはご夫婦で作詞作曲を手掛けるプラチナファミリー。2人で生み出した名曲も数々。山口百恵さんの「プレイバックPart2」、「さよならの向う側」なども手掛けた。そんな音楽夫婦のヒストリーに迫る。
夫婦で山口百恵さんの名曲など多数手がけた宇崎竜童さんと阿木燿子さんファミリー。音楽夫婦のヒストリーに迫る。2023年8月放送の「徹子の部屋」の映像を紹介。ダウン・タウン・ブギウギ・バンドの写真が最初のユニフォームという話や、「ザ・ベストテン」から50年経った話した。2人は明治大学の軽音楽部で知り合い、そこから59年の付き合いだそう。宇崎さんは最近、料理のお手伝いをするようになったという。映像紹介後、スタジオで黒柳さんは「奥様はすごく素敵。作詞なさるので、立場が強いらしい。詞ができなきゃ曲ができない。だから詞ができるまでお家で待ってる」と話した。
中村獅童さんと、息子の陽喜くん・夏幹くんが登場した回の「徹子の部屋」を紹介した。陽喜くんはイタズラ好きで、イタズラの罰で3ヶ月間お菓子・ゲーム・YouTubeが禁止されていることを話した。また、陽喜くん・夏幹くんは歌舞伎が大好きで、スタジオで見得を切っていた。
二枚目俳優としてドラマでは存在感ある名俳優。さらには料理上手なバラエティタレントとしてもお茶の間の人気者だった梅宮辰夫さん奥様・クラウディアさんと娘・アンナさんが在りし日の思い出を語ってくれた。2022年11月放送の「徹子の部屋」と1982年放送の「徹子の部屋」の映像を紹介。梅宮さんは娘アンナさんのお洋服を直すのは辰夫さんのお仕事だということを話していた。映像紹介後、スタジオで徹子さんは「この方のことプレイボーイだと思ってたんですけど、こんなにお家のことをやってらっしゃるとは思わなかった」と話した。さらに梅宮さんは料理の腕前もプロ顔負けだった。生前、家族にレシピノートを遺していた。レシピノートの目次も作っていたという。
持ってきたノートについて「このノートがいっぱいある。このように色々細かく書いてある。字もかなりキレイに書かれていて、お料理のレシピを一冊にしているが、その目次の本もある。」と説明し、とにかく時間があればお休みの度に朝からスーパーに買い出しに行くか魚河岸に行って買いに行くか。朝から夜までずっと料理をしている。具合が悪くなったときから無性により一層レシピノートに向かったような気がする。一番無心になれる時間だったのかなと思う。」などと話した。
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- 魚河岸
日本史の教科書には2ページ分も記載されている、歴史を変えた偉人を先祖に持つ方の紹介。その方は小泉孝太郎さんとも浅からぬ関係があるという。住んでいる場所は北に蓼科山、東に八ヶ岳連峰がある、別荘地長野県蓼科。
山岸美喜さんは、徳川家康の玄孫で、先祖には徳川慶喜などもいういう。山岸さんは夏の間、名古屋の自宅と蓼科の別宅の2拠点で生活をしているという。山岸さんの蓼科の別宅を紹介した。美喜さんは元々イギリスに住んでおり、内装はイギリスの古民家風だという。山岸さんの家庭は皇族や海外の王室などとも深いつながりがあり、さらにコシノジュンコさんはゴルフ仲間で、20年来の付き合いがあるという。庭は約940坪あり、夫の直人さんが管理しているという。続いて、山岸さんの名古屋の自宅を訪ね、徳川家の葵の紋を紹介した。
徳川慶喜の玄孫山岸美喜。徳川家のご一族ならではの特別な場所が上野東照宮金色殿。一般には特別な日にしか見ることができない社殿だが、徳川家の一族のため特別に撮影許可がおりた。神様を守る神様で家康公、吉宗公、慶喜公を祀っている。本殿の他にも権現造の拝殿という間も撮影できた。
しかし良いことばかりではなかった。徳川慶喜の玄孫で良かったことについて質問された山岸美喜は「あまりないですね」と話した。一方、旦那は「驚きも全然ない」と話した。皇族を親族にもつ方ならではの礼儀や言葉遣いについて「なるほど」という話が。
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皇族を親族に持つ方ならではの礼儀や言葉遣いについて「なるほど」という話があった。御殿での言葉遣いは会う時や別れる時は「ごきげんよう」、「ありがとう」は「恐れ入ります」、「すみません」「失礼」は「ごめんあそばせ」だという。ちさ子さんの有人で祖父は日本オーケストラ界のパイオニア、兄は総理大臣という家系に生まれた水谷川さん。彼女が常々言っていたのは「ごきげんよう」だった。
酔っ払ったスタッフのためにパジャマ代わりの甚平を用意して頂き、石造りのお風呂もいただき快適な寝心地のベッドでぐっすり休ませて頂き、気持ちの良い朝を迎えられただけでなく、テラスで朝食まで頂いた。
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徳川慶喜の玄孫・山岸さんの厚いおもてなしを受け、快適な寝心地のベッドで休ませて頂き、翌朝も豪華なテラスで朝食を頂いた。
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- 徳川慶喜
オープニング映像。
鹿児島・姶良市の丸田佳代さんを紹介。丸田さんは自宅の隣で植物由来の油製品を販売し、季節や客の好みに合わせた香りを販売している。丸田さんの月の一度の楽しみは、野外に椅子を置き酒を飲むなどして過ごす「チェアリング」だという。
「私の幸福時間」の番組宣伝。明日は鹿児島市。
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- 鹿児島市(鹿児島)
青森・十和田市の新渡戸常憲さんの先祖は、五千円札になった偉人の新渡戸稲造だという。新渡戸稲造は、侍や武士道の精神を綴った本を英語で出版し、世界的なベストセラーとなった。また、国際連盟の事務局次長も務め、明治時代には珍しかった国際結婚をし、国際交流にも尽力した。新渡戸さんの妻の富恵さんは「武士道Tシャツ」を着ており、手掛けたのは新渡戸さんの親戚の中尊寺の貫首の奥山元照さん。新渡戸さんの邸宅は約1500坪あり、近くにある約3000坪の墓所も新渡戸さんの私有地だという。十和田市の都市公園にも指定され、市とともに管理しているという。十和田市は、かつて稲作に適さない不毛の土地だったが、1859年に人工河川を引き都市へと発展させたのが、新渡戸稲造の祖父の傳・父の十次郎だった。この日、新渡戸さんの土地に、校外学習の小学生たちが訪れていた。