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「昭和館」 のテレビ露出情報

戦時中に兵庫県内で撮られた1枚の写真には戦地に向かう犬を祝った最後の姿が写っていた。元高校教師の森田さんは退職後大阪を中心に近代日本の戦争をしらべ戦地に送られた犬について自身で本にまとめた。旧日本軍は第一次世界大戦後戦地で戦う兵士の役割を補おうとシェパードなど3種類の犬を軍で飼育し軍用犬として訓練し始めた。犬の優れた聴覚や嗅覚は国境警備や敵の警戒、人が入り込めない沼地などでも素早く移動できることから部隊感の伝令や弾薬輸送など危険な任務も担っていた。訓練を重ねた犬は満州事変以降前線の部隊に配置されていった。満州事変以降占領地を拡大していく中で軍用犬は次第に不足していく。そうした中軍が目をつけたのが民間で飼わ れていた犬。軍は民間と共同で「帝国軍用犬協会」を設立。市民に向けてシェパードなど軍用犬に適した犬を飼うことを奨励し訓練するよう呼びかけていく。PRのために甲子園南運動場で開かれた展覧会では戦争に犬が役立つことが示され多くの関心を集めた。さらに各地でパレードを重ね軍に譲り渡そうという気運を高めていった。犬で国に尽くそうとする軍犬報告というスローガンのもと市民は飼い犬を戦地へ送り出していった。
近代軍事史に詳しい防衛研究所の伊藤大輔研究員は軍用犬が戦地で欠かせない存在となる中民間に頼らざるをえなかったという。北海道・旭川市に住む鈴木さんは当時シェパードのチエを飼っており5歳の頃は毎日の遊び相手だった。鈴木さんは警察官だった父が訓練を続けていたことを覚えていた。そしてチエが戦争に連れて行かれる日がやってきた。戦地に送られた犬は約1万2000頭と専門家は指摘している。そのほとんどは再び飼い主の元へ戻ってくることはなかった。チエを訓練し戦場へ送った父は晩年晩酌をするたびにチエを最期まで見てやれなかったと涙ぐんでいたということだ。
住所: 東京都千代田区九段南1-6-1
URL: http://www.showakan.go.jp/

他にもこんな番組で紹介されています…

2026年9月1日放送 19:00 - 21:00 テレビ朝日
プラチナファミリー&火曜の良純孝太郎日本探求アカデミックバラエティ 火曜の良純孝太郎 東京タワー大冒険SP
芝大門は軍備強化をしていた薩摩藩の屋敷があり明治維新後、多くの海軍施設が作られた。薩摩藩と海軍の逸話が残るのが東京港醸造。東京23区唯一の酒蔵で、薩摩藩・西郷隆盛と幕府海軍・勝海舟が醸造所の奥の一室で密談を行なったという。良純孝太郎は空気から水を製水し仕込んだ純米吟醸酒「Sustainable Sake Project Air」に舌鼓を打った。

2026年8月12日放送 23:00 - 23:56 TBS
news23NO WAR つなぐ、つながる
京都霊山護国神社で1941年に撮影された写真には戦地に送り出された兵士たちの家族たちが写っており、その女性たちは敗戦後に過酷な運命を歩むこととなった。京都市で暮らす103歳の小西はヘルパーとともにケアハウスから自宅に戻っていた。自宅で小西は結婚当時の写真などを整理していた。婚姻数の推移を紹介。小西は戦時中には産めよ殖やせよと女が子どもを産む機械みたいに言われ[…続きを読む]

2026年8月12日放送 20:40 - 21:54 テレビ東京
バカリズムのちょっとバカりハカってみた!絶滅危機!?昭和の懐かし商品 令和に何個売れているか計ってみた
絶滅危惧商品・ポン菓子機は現在どれだけ売れているのか計ってみた。日本で唯一ポン菓子機を作っているのはタチバナ機工。1945年に国内初のポン菓子機が誕生。この機械を生み出したのがタチバナ機工の創業者・吉村利子さん。食糧難に苦しむ子どもたちを目の当たりにした利子さんはポン菓子機の製造を思いつく。住んでいた大阪から鉄の街・北九州へ渡り小さな工場を立ち上げポン菓子機[…続きを読む]

2026年8月12日放送 15:40 - 16:54 テレビ東京
よじごじDaysなぎら健壱の!この味を永遠に 昭和グルメ遺産
なぎら健壱は上野を散策。集団就職列車で東北から上野へ上京した多くの若者が日本の高度経済成長を支えた。大正13年創業の大衆洋食店「じゅらく」は高級だった西洋料理を安く提供していた。アメヤ横丁はアメを販売していたことが由来と言われ、アメ横はアメリカの物資を販売していたことが由来。両者合わせてアメ横と呼ばれるようになった。レザーアクセサリーショップ「ALBUQUE[…続きを読む]

2026年8月9日放送 12:54 - 14:00 テレビ東京
開運!なんでも鑑定団(開運!なんでも鑑定団)
依頼人の谷口さんは多摩美術大学で学んだ後油絵と陶芸の作家として活動し50年前から自宅で美術教室を開く。お宝は黄金バットの紙芝居36枚。黄金バットは1967年放送開始のアニメで昭和のはじめ紙芝居として誕生。昭和5年頃街頭紙芝居が行われるようになり1枚1枚手書きで貸元が絵師に発注。黄金バットの作画を担当したのが谷口さんの父親である永松健夫。永松健夫は東京高等工芸[…続きを読む]

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