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「本谷庄治さん」 のテレビ露出情報

能登半島の北端にある輪島市町野町。潰れた家屋が連なる通りの先で“もとやスーパー”は営業していた。二代目の一郎さんと妻・理知子さんは2000人ほどが暮らすこの町で唯一のスーパーを長年切り盛りしてきた。元日に起きた能登半島では県内で各地で大きな被害が出る中、町野町でも17人が命を落とした。地震から1か月が経ったこの日も町には元日から時間が止まったかのうような光景が広がっていた。復旧工事は進められているが水も電気も止まったまま。店の隣の自宅も住める状態ではない。近くに避難所はあるが、一郎さんたちは防犯も兼ねて建物が無事だったスーパーの一角に寝泊まりを続けている。1日に200~300人訪れていたお客さんは震災後激減し、今では1日数人に。10人の従業員も全員休職し、同じ敷地で暮らしていた息子の妻と孫たちも県外に避難した。そんな中、理知子さんはテキパキと店を仕切っている。理知子さんの思いもあり、元日から無休で店を開け続けている。
一郎さんの父が80年近く前に始めたもとや庄治商店。高度経済成長の波に乗り1970年代には店舗を構えた。食品のほか、最新家電を揃えた店には多くの人が詰めかけた。一郎さんは20代前半でアメリカを放浪後、店を手伝うために帰国。出入りしていた家電メーカーの理知子さんと結婚した。それから2人は半世紀近く、元日の定休日以外は店を開け続け、今は息子が店の三代目として社長を務めている。2月中旬、震災から約1か月ぶりに電気が復旧した。三代目の一知さんは妻と子どもたちを避難させ、自らは店の立て直しに奔走してきた。震災で冷蔵庫にあった品物は廃棄せざるを得なかった。震災後は品物がほとんど売れず、仕入れを止めてこの状況を耐える以外に店を維持する手立てがないという。
この日、スーパーにやってきたのは町で唯一の薬局で働く女性。勤務先が廃業することを決めたという。薬局がなくなるとすぐに薬が必要な場合は車で30分ほどかけて別の町の薬局に行くしかない。町野町では他にも廃業を決めるお店が少なくないという。

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