広島と長崎に原爆が投下されてまもなく79年。核兵器の恐ろしさや平和の尊さは被爆地だけではなく首都圏でも被爆者によって語り継がれてきた。かつて東京に1万人いたという被爆者は今は3500人ほどと3分の1にまで減っている。東京で生まれ育つ若い世代にどう記憶や経験を伝え続けていくのか。世田谷区に住む杉野信子は1歳のときに広島で被爆した。杉並区で開かれた原爆についての学習会で、杉野は戦後に母親から聞いた自身や家族のことを語った。結婚後、東京で暮らしてきた杉野は30年ほど前から世田谷区の被爆者団体の活動に参加してきた。区内にはかつて800人以上の被爆者がいたが高齢で亡くなるなどして減少。4年前に団体は活動を休止した。東京の被爆者団体を取りまとめる東友会によると、世田谷区のように活動を休止する動きは近年、相次いでいる。48地区にあった団体も今、活動中なのは20にまで減った。学習会に参加した被爆者は4人。杉並区の被爆者団体の声かけで別の区からも集まり開催にこぎ着けた。聞いていたのは来月、広島の平和記念式典に派遣される杉並区内の中学生。杉野たちは疑問に丁寧に答えながら原爆の悲惨さを伝えることで若い世代に思いを託していた。都内ではなんとか活動を維持している団体でも被爆者の子どもである被爆2世が支えるケースもあり被爆者の証言を録画して保存する取り組みを進める動きも続いている。