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「東京五輪」 のテレビ露出情報

ブルーインパルスの新人訓練にテレビ初密着する。アクロバット飛行チーム「ブルーインパルス」は1960年に創設され1964年の東京五輪などにフライト飛行を披露している。6機編成でパイロットは担当する番機が決まっているその任期は3年で師匠から弟子へ一子相伝の飛行技術が伝えられる。今回は高度な操縦技術が求められるエース5番機の新人パイロットの訓練に密着する。現在の5番機パイロットを努める藤井3佐の横でミーティングを行っているのが新人の浦祐眞3佐。TACネームは「ミッキー」で由来は夢と希望を与えたいと誕生日がミッキーと同じだからと説明。ブルーインパルスのパイロットは小学2年の時に長野オリンピックの開会式の映像を見て目指すようになったという。ミッキーは1年半後にデビュー出来る予定でその間に背面飛行などをクリアする必要がある。
ミッキーの訓練初日、ヘルメットは新しく支給されるが「5」は普通の状態で合格すると逆さ「5」になる。初日は師匠であるジークが操縦士その操縦技術を体感する。ミッキーはやっていることが分からず今のところ恐怖しかないと話した。1つめの課題は背面飛行。背面飛行はきっちり180度回転しその状態を維持する。ミッキーの初挑戦では少し傾きすぎに高度が徐々に下がってしまう。毎日ひたすら練習を行い4回目のフライト訓練でクリア。
続いてはソロ技に挑戦。5番機は9つのソロ技あり、中でも「インバーテッド&コンティニュアス・ロール」と「4ポイントロール」は難度が高い。緊張のフライト前、ミッキーが欠かさないルーティンとしてコーヒーを飲む。訓練は1ヶ月半後にテスト日が設定され不合格なら次の訓練に進めずデビューが遠のく。しかしその訓練時間は1日約20分で、これはジークも全体練習があるため。そのため他の時間では自分が飛んだときの映像を確認して復習をする。
そしてソロ技チェックを翌日に控えたその日、プライベートにもお邪魔した。自宅には妻のセーラさんと娘のあんなちゃんが待っていた。ミッキーはこれまで4つの基地に所属し、その度に転勤をしており家族全員が引っ越しと転校をしてきた。あんなちゃんは友達と離れるのは嫌だったと話す。セーラさんは今楽しみにしているのがブルーの制服を着るところと話す。そしてテスト当日、最初の「4ポイントロール」は反応がイマイチだったが再挑戦すると成功。結果合格となった。

他にもこんな番組で紹介されています…

2025年9月10日放送 18:30 - 20:00 TBS
まさかの一丁目一番地(日本初!バレーボール必殺技の元祖は?)
1960年代の女子日本代表は東洋の魔女と恐れられた。当時の必殺技は回転レシーブ。体を1回展させながら広範囲の打球を拾う。回転レシーブを武器に東京オリンピックで金メダルを獲得した。バレーボール人気に乗じて作られたドラマ「サインはV」は最高視聴率39.3%、アニメ「アタックNo.1」は最高視聴率27.1%を記録した(ビデオリサーチ調べ)。

2025年9月6日放送 10:40 - 11:25 NHK総合
鶴瓶の家族に乾杯海外スペシャル in スイス Part1〜世界遺産ベルンの街歩き~
鶴瓶はエルフェナウ公園の辺りにやってきた。この辺りに住む2歳上の男性と話した。1964年東京オリンピックで銀メダルを獲得した柔道選手のエリック・ヘンニに柔道を教わっていたという。男性は昨年、脳卒中になったと話した。

2025年9月4日放送 23:06 - 23:55 テレビ東京
カンブリア宮殿カンブリア宮殿 ワンカップを超えろ!「大関」の生き残り戦略
挑戦して新しい物を生み出す大関の姿勢は今に始まったことではない。長部は社長室に掲げられた社是を紹介したが、そこには「魁集団への躍進」とあったが将来を見据えた組織になろうという思いが掲げられている。長い歴史の中で培われてきた精神。ワンカップの発売は1964年の10月10日。東京五輪の開幕にあわせグローバルな商品にしようと商品名をアルファベットにして販売。その後[…続きを読む]

2025年9月1日放送 22:00 - 22:45 NHK総合
映像の世紀バタフライエフェクト(映像の世紀 バタフライエフェクト)
終戦から数日で闇市が開かれるようになった。当時は生き抜くために誰もが必死だったという。終戦の翌年に浜松に町工場が誕生した。立ち上げたのは本田宗一郎。そこで自転車用補助エンジン「バタバタ」を作って爆発的にヒットさせたという。一方で井深大も会社を立ち上げて、アメリカ製のテープレコーダーを元に日本初のテープレコーダーを作り出した。ただまったく売れず、小型化して安く[…続きを読む]

2025年8月31日放送 15:25 - 16:38 NHK総合
放送100年 スポーツ名場面放送100年 スポーツ名場面 真夏の大逆転スペシャル
1932年ロサンゼルス五輪で大逆転ジャンプで金メダルを獲得したのが三段跳びの南部忠平。三段跳びは戦前の人気種目できっかけは1928年アムステルダム五輪織田幹雄が三段跳びで金メダルを獲得した。南部忠平は走り幅跳びが得意種目で奇想天外な発想で周囲を驚かした。ロサンゼルス五輪走り幅跳びで3位で、織田幹雄が試合前膝を痛め織田幹雄の代わりに三段跳びに出場し金メダルを獲[…続きを読む]

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