今年81歳で亡くなったカキ養殖家・畠山重篤さん。「森は海の恋人」をキャッチフレーズに森を大切にし、カキの養殖を行いながら植樹活動に取り組んだ。2012年、国連フォレストヒーローズ(森の英雄)を受賞。昭和18年、中国・上海で生まれ2歳のときに帰国。父は宮城県気仙沼で牡蠣の養殖を始めた。水産高校卒業後、家業のカキ養殖に取り組む。高度経済成長期、海に異変が起きる。東京オリンピックを境に魚がいなくなったという。さらに昭和40年代、赤潮が度々発生するようになった。
畠山重篤さんに転機が訪れる。カキ養殖の本場フランスを視察する機会を得た。そこで目にしたのはロアール川流域の豊かな広葉樹の森。そして、カキ養殖化が森を大切にする姿だった。帰国後すぐ気仙沼湾に注ぐ川の上流に向かった畠山さん。森は伐採され、ハゲ山が広がっていた。5年後、室根山で植樹を開始した。畠山さんは森と海の関係を科学的にも裏付けようと、北海道大学教授(当時)・松永勝彦さんに調査を依頼。自身も謎を解き明かしていった。木を植えて3年目、それまで夏場は枯れていた山の水が再び湧き出し、その3年後、赤潮が消えた。ところが平成23年、東日本大震災が気仙沼湾を襲った。畠山さんの母親が津波に飲まれ亡くなった。養殖筏も流され、被害総額は2億円にのぼった。 畠山さんは集落の復興を願い、家族や仲間とともにカキを吊るす筏を作った。震災後も続けた植樹祭。これまで植えた木は5万本に上る。
畠山重篤さんに転機が訪れる。カキ養殖の本場フランスを視察する機会を得た。そこで目にしたのはロアール川流域の豊かな広葉樹の森。そして、カキ養殖化が森を大切にする姿だった。帰国後すぐ気仙沼湾に注ぐ川の上流に向かった畠山さん。森は伐採され、ハゲ山が広がっていた。5年後、室根山で植樹を開始した。畠山さんは森と海の関係を科学的にも裏付けようと、北海道大学教授(当時)・松永勝彦さんに調査を依頼。自身も謎を解き明かしていった。木を植えて3年目、それまで夏場は枯れていた山の水が再び湧き出し、その3年後、赤潮が消えた。ところが平成23年、東日本大震災が気仙沼湾を襲った。畠山さんの母親が津波に飲まれ亡くなった。養殖筏も流され、被害総額は2億円にのぼった。 畠山さんは集落の復興を願い、家族や仲間とともにカキを吊るす筏を作った。震災後も続けた植樹祭。これまで植えた木は5万本に上る。
