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「東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団」 のテレビ露出情報

深夜のJR池袋駅前で出会ったのはバイオリン奏者のななさん(52歳)。タクシー代を支払って家までついて行った。推定距離は15.2km、料金は5,680円だった。午前2時に自宅に到着。入ってすぐの所に楽器専用の部屋があった。階段を上ると愛猫ミーちゃんと母・よりこさん(78歳)が出迎えてくれた。自宅は築20年の6DKで3階建て。ななさんの部屋は3階。棚にずらりと並んだCDはバイオリンのソロ・オーケストラの曲が多いという。本もクラシックに関するものがほとんどだったが、漫画「はみだしっ子」の愛蔵版もあった。2階の部屋にはピアノが2台並んでいた。母はピアニストでピアノ教室をやっている。母方の祖父はピアニスト・作曲家、祖母は声楽家、父はバイオリニスト。日本の三大私立音大とされる東京音大を首席で卒業。26歳でドイツに留学、スイスのバーゼル音楽院へ進み首席で卒業した。35歳で日本に戻りフリーのバイオリニストとして活動、東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団、千葉交響楽団などで客演首席奏者を務める。父が書き写した楽譜を見せてくれた。ピアノはベーゼンドルファー。通称「ウィーンの至宝」と呼ばれ、何千万円もするという。ななさんのバイオリンも車2台分ぐらい。父・としおさん(86歳)も登場。妹も含めた4人でNHKへ出演した際の写真を見せてくれた。妹とは8歳差。ななさんが音感が良く、1歳で鳩ぽっぽを演奏したという。母娘で「タイスの瞑想曲」を演奏してくれた。ななさんは母からピアノ、父からバイオリンを教わり、小学3年でバイオリンだけになった。18歳で出会ったオーボエ奏者と14年交際して婚約したが、相手の浮気が続いて結婚はしなかった。別れた時は腱鞘炎で1年間バイオリンが弾けず、神経がやられて限界だったという。この時の辛い体験が音楽にも活かされていると振り返り、支えてくれた最愛の父母への感謝を語った。この取材から9年半が経ち、父は7年前、母は4年前に天国へ旅立った。ななさんは自身の活動を続けながら、両親の遺志を継ぎ、母がピアノを教えていた部屋でバイオリン教室を開講。日比谷高校オーケストラ部の指導など次世代の育成にも力を注いでいる。

他にもこんな番組で紹介されています…

2025年6月8日放送 5:00 - 5:20 テレビ朝日
はい!テレビ朝日ですはい!テレビ朝日です
前回から引き続き、番組レギュラー陣の山口豊アナウンサー、八木麻紗子アナウンサー、ゲストの加藤登紀子が、スタジオに滞在中。前回から引き続き、今回も加藤登紀子を特集する。テーマは、「加藤登紀子 歌とテレビ(後編)」。最初に、1979年7月17日に放送された「徹子の部屋」の映像が紹介された。その中で、黒柳徹子と加藤登紀子(当時35歳)が対談をしていた。その映像が終[…続きを読む]

2025年5月31日放送 10:00 - 10:30 テレビ朝日
題名のない音楽会(エンディング)
夢響2025の出場者を募集している。詳しくは番組ホームページまで。

2025年2月11日放送 19:00 - 21:00 テレビ朝日
THE世代感THE世代感 ゴールデン2時間SP
「若者が昭和歌謡映像で感じた違和感は?」と出題。正解は「曲が始まっているのになぜ曲紹介のアナウンスが?」。1930年代無声映画が徐々に減り無声映画に解説を入れる活動弁士が職を失った。活動弁士が歌手の司会に転身したことがきっかけという。優勝は令和チーム。

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