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「東京三菱銀行」 のテレビ露出情報

東京・浅草には松屋浅草がある。店内は銀座とは違ってアットホームな雰囲気。客の殆どが地元の常連客だという。松屋は明治2年に山梨県から上京してきた古屋徳兵衛が横浜で呉服店を開業させた。関東大震災後の大正14年には銀座で百貨店を開業。昭和6年には浅草店をオープン。屋上遊園地を作り家族で楽しめる場所として人気を博した。その跡取りとして古屋が生まれたのは1973年。幼い頃から後継者への意識はあったというが周囲からそういう雰囲気を感じていたという。大学を卒業後には経済の道を知るために大手銀行に入行。27歳で松屋に入社し、研修でアメリカに渡った。そこで古屋は自分の人生に疑問をいだき始める。このまま松屋にいてもいいのか?と思ったというが、古屋は日本にいると松屋と後継ぎをセットに言われることが多かったが、与えられたレールの上を行くだけの人生に疑問を感じた。そんな中、アメリカの友人の一言がその呪縛から解き放たれたという。その友人は古屋に将来は何をしたいのか?と聞いたが古屋は稼業を継ぐと答えると友人は何でもできると答えたという。古屋はその時、海外にいけば松屋を知る人がおらず変に意識する必要もなく自分が何をしたいのか?何を持っているのか?自分にしかできないことが必ずあると感じ始めたという。
日本に戻った古屋は松屋銀座の本店長に就任。テナントとして入っているルイ・ヴィトンの売り場面積の拡大を実現し収益と集客を大きく伸ばした。去年3月には社長に就任すると百貨店の常識破りに挑戦。9月には開店を一時間遅らせて11時に。他の百貨店と比べても最も遅い。それによって社員の幸せになる場を想像するに繋がっているという。休みは元日だけという百貨店の常識を破り1月2日も休業した。古い体質から脱して風通しの良い職場作りに力を入れた。古屋は思春期以降は職業選択の自由がなく、結婚についても相手がすでに決まっているのでは?などと身構える部分があったという。またアメリカでの体験で創業家という呪縛から解き放たれたというがニューヨークの自由な雰囲気で百貨店という世界で新しい価値を生み出す人間になっていきたいと思えたという。

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