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「東京大空襲」 のテレビ露出情報

東京・日本橋の多くの人が行き交う橋の一部に東京大空襲の痕跡が今も残っている。焼夷弾の焼け跡、そして弾痕があった。太平洋戦争末期、米軍による空襲が日本全土を襲った。都心の公園にあるイチョウの木には空襲の火災で燃えた跡が刻まれている。空襲の被害を受けた三鷹市では戦時中の遺品を展示している他、当時の証言をデジタルで保存する取り組みを行っている。少なくなる証言者、それは静かに戦争を語るガマもまた同じである。清水さんが向かったのは、10年前に訪れたことがある南城市のガマであった。10年の間に緑が生い茂り、どこにあるのか見つけることができなかった。藪の中を歩き回ることおよそ30分、思いがけず見つけたガマがあった。元々この一帯のガマには周辺住民が避難していたが、戦局の悪化により住民たちは役場の指示で別の場所へ移動しその後は旧日本軍の休養所として使用されていた。清水さんは遺品や構造を全て記録として残している。今後ガマがどのように形を変えるのか比較しようとしているのである。岩の壁をつたい別の出口へ行くと探していたガマがあったが、崩落により10年前とは大きく形が変わっていた。かつてガマでは戦没者のために慰霊祭が行われていたが、関係者の高齢化により訪れる人は減少した。そのため手入れがされず隔絶された場所になってしまっていた。さらに開発や宅地造成でガマの閉鎖が相次いでいる。
沖縄・糸満市にある轟の壕は県職員や住民など一時は500人以上避難していたとされるガマである。平和学習のために現地ツアーが行われていたが、近年は内部の崩落が激しく入ることはできなかった。そこで糸満市は壕内の様子を360度カメラで撮影しバーチャルツアーが行えるよう、ホームページで公開している。戦争遺跡を残すための1つには文化財や史跡に指定し、補修費をかけて管理することがある。しかし現状は思うように進んでいないと戦争遺跡を研究する安藤教授は指摘する。

他にもこんな番組で紹介されています…

2025年8月16日放送 5:40 - 5:50 NHK総合
NHK映像ファイル あの人に会いたいNHK映像ファイル #625
自らの戦争体験を原点に戦争の悲惨さと愚かさを訴え続けてきた半藤一利さん。数多くのノンフィクション作品で戦中戦後の知られざる歴史的事実を掘り起こした。半藤さんは14歳の時に東京大空襲を経験する。九死に一生を得た翌朝、一面の焼け野原に立ち肝に銘じたことが「世の中に絶対というのはない」ということだという。大手出版社の編集者となった半藤さんは、小説家・坂口安吾につか[…続きを読む]

2025年8月15日放送 20:45 - 21:00 NHK総合
首都圏ニュース845(ニュース)
都の戦没者追悼式には遺族など約400人が参列した。戦後80年となり遺族の高齢化が進み戦争の記憶の継承が課題となる中、ことしは中学生など若い世代も招待された。東京大空襲で約3000人が命を落とした旧中川では灯籠が浮かべられた。

2025年8月15日放送 19:30 - 20:42 NHK総合
NHKスペシャル(NHKスペシャル)
金原まさ子さんは東京を離れ一人息子と群馬に疎開していた。前年からアメリカの本土空襲が始まっていた。しかし爆撃を受けたのは主に軍事工場で市街地の被害は限定的だった。舩渡和代さんは国民学校6年生だった。家族はバラバラに生活していた。2月末に父が一家で集まろうと子供たちに手紙を書いた。開戦直後、大東亜共栄圏の建設の名の下、勢力圏を広げた。1月、主に軍事工場を狙って[…続きを読む]

2025年8月14日放送 15:49 - 19:00 TBS
NスタNスタ NEWS
94歳の声楽家の浅岡節夫さんの戦争体験を伝える。いまも歌い続けるわけ、そこには終戦の4日前に戦死した兄・正樹さんの存在があった。浅岡さんは東京大空襲と富山大空襲を経験。正樹さんは戦時中もたくさんのレコードを聴かせてくれた。正樹さんは北京で戦死。浅岡さんは兄への思いを胸に戦後80年のコンサートに臨んだ。

2025年8月12日放送 16:54 - 17:05 テレビ東京
ゆうがたサテライト(ニュース)
戦後80年を迎え東京都慰霊堂では新日本フィルハーモニー交響楽団などによる平和祈念コンサートが行われた。東京大空襲では一晩で約10万人が犠牲になったとされている。

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